10年。

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神戸の震災、オウムのテロ。
あの忌まわしい1995年から10年経った。

当時、渋谷区の恵比寿に住んでいた。
その2年程前、オウム信者が渋谷区に大量に住民票を移して、
東京4区から麻原が立候補。
野望敗れて、テロ組織へと変貌していった。

信者が麻原や動物の仮面をかぶり、駅前で踊っていたのを思い出す。

彼らの幹部は皆高学歴。
他の業種に進めばキャリアになれた人材・才能であったろう。
しかし彼らは宗教にのめりこんだ。
受験では有効に働いた勤勉さは、同胞に対する殺戮に使われた。

正しく言えばのめりこんだと言うよりも、逃げ込んだとの印象が強い。

私の意見を言えば、宗教は弱者救済のための一種の装置だ。

プラスの側面が働けば有効だが、その針がマイナスに振れれば
恐ろしい殺戮の思考回路となる。

人類の歴史上、最も人を殺したのは宗教と共産主義だ。
歴史が証明している。

教祖の教えがどうであろうと、教団として組織化されれば
組織の運営・維持が目的となり、目的のためには敵を排除しようとする。

神はいるのか?

否、いないだろう。

いるとすれば我々の存在を裏付ける先祖への感謝。
そして、己の中にある良心の別名だ。

我々の文明は理論を実証し証明し発展させることで、現在の高みまで登ってきた。

宗教学者・宗教者はその点において、努力を怠っている。

2000年前に死んだ人物の為に、現在でも多くの聖職者が恩恵にあずかり、
組織維持の為に外部に敵を求める。

自由主義が広まり豊かな生活を築く者が増える一方、
落ちこぼれる弱者を救済していることも事実で、功績も大きい。

不敬な考えかもしれないが、神に祈り合わせる両の手があるならば、
その手で何かを掴むためにあがくべきだ。
どんなに祈ったところで救済は無い。

あるという人もいるだろうが、それは心の持ちよう程度のものだ。
単なる心の心理的自浄作用に他ならない。

人類が文明を築いて数千年。
これから数千年の後、人類がまだ生き残っているとして、
宗教をどう評価するか・・。

それこそ、答えは「神」のみぞ知るだ・・。



追記。

佐賀・福岡で地震が起きた。被害はまだ明らかではない。

しかし阪神大震災の際、社会党の総理大臣の好々爺が
出動を直訴する自衛隊を黙殺する中、被害が拡大したのに比較して
今回、自衛隊が迅速に行動し、5時間後に被害者の皆さんに物資を届けられたのが、
この10年のプラスかもしれない。
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