蜘蛛の糸

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年の瀬である。

この大変な一年の終わりに、無事に健康で路頭に迷うこともなく命を絶つことも無く、年の瀬を迎えられることに感謝している。



ここ数年、ずっと感じてる事がある。

「幸せな人は幸せの価値に気がついていない」



彼らは、私がどんなに頑張っても無理しても手に入れられなかったものを手にしていながら、自ら捨てているように感じている。



神の前で永遠の愛を誓いながら、伴侶を裏切る。

会社案内で社会のためと微笑みながら、法を犯す。

夫や妻や子供や仲間に笑顔を浮かべつつ、振り向いた背中に向って舌を出す。



私にも過去好きな人はいた。

私は自分の商品価値というものを知っている。身の程はわきまえている。

だから相手に感謝していたし、無理しても私がして欲しい事を相手にしようと努力した。

よくプレゼントした時に「金額ではなく、収入の中のパーセンテージを見てね」と笑い話をしたものだ。



私にとっては、愛情は蜘蛛の糸のようなもの。

地獄で頭上に見つけた、か細い希望のように感じていた。

「この糸が切れたら、もう幸せは手に出来ない」

よく言えば死ぬほど大切にしたし、悪く言えば執着した。



だが、結果は皆さんご承知のとおり。

私の友は、愛犬一匹だけだ。

おそらくこのまま人生を終えるだろう。



この現状は認識の違いから生じている。

私にとっては蜘蛛の糸でも、相手にとっては何回でも引きなおすことの出来るおみくじのようなものだ。

大吉でなかったら捨てて、また引き直せばいい。

誰も外れたおみくじなど気にはしない。



他の人を見ても同じように感じている。

こっちがダメならあっち、あっちがダメならそっち、そっちもダメならまたあっち。



そんな想いで本当に当たりが出るのだろうか。

「これが当たり。例えそうでなくとも当たりにして見せる。」

そう思ってこそ、蜘蛛の糸も太いロープになるのではないか。そう私は思う。



人は金鉱を探してトンネルを掘る。

ある程度掘って、ここはダメだと掘ったトンネルを捨てて、別の穴を掘る人間。

ここまで掘ってダメなら、もっと掘る。それでもダメなら更に掘る。それでもダメでもここしかないと信じきって掘り続ける。

私は後者だ。

さてあなたはどちらか。




その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、

悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、

これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、

その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。



この問いかけは、あなた自身の生き方を問いかけている。


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