クリスマスの朝に想う

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今年も残り1週間となった。

昨日はクリスマスイヴで、私の誕生日。

43歳となった。

男の1人暮らしなので、ケーキもプレゼントもないいつもと変わらぬ1日だったが、何の不満もない。

今年の年初め、とても不安な気持ちだった。

失業し、アフィリエイトとSOHOからの収入が全て。

雇用保険も切れていた。

面接に落ち、たまに受かればSEOなどでモラルに反するキーワードを順位上昇を依頼され、こちらからお断り。



「神様も、畳み込んでくるなぁ」と思っていた。

年初めには、年末は・・なんて想像も出来なかったし、1週間後どうやって生きているかもわからなかった。

今年最大の私へのプレゼントあるとすれば、それは仕事だろう。

この寒い冬に布団の中で眠り、温かい食事をとる事が出来、お世話になった方たちにお礼さえ出来る。

これは当たり前のことであるように見えて、今後は当たり前のこととは言えなくなる時代が来る。



昨日のクリスマスイヴ、街を歩いていて、こう思った。

「あなたが手をつないで笑っているパートナーは、来年も隣にいてくれると思いますか?」

「あなたの仕事は来年もあなたを必要としてくれますか?」

「来年の今日、あなたは笑顔でいられると思いますか?」



多くの人は「YES」と答えるだろう。

もちろん努力もしていることだろう。



では、恵比寿で着飾り愛を語る傍らで、寒空の下、薄着のままでホームレス自立雑誌を売る彼は努力していなかったのだろうか。

「どうにかできたはずだ」とおっしゃる方も多い事と思う。

なるほど、どうにかできたろう。

私の義兄のように、法の隙間を潜り抜け、外国人研修生を搾取したり、

私に「多重債務 ローン」のキーワードでSEOを依頼し断られた弁護士連中のモラルを持ってすれば、なんとかできたろう。



今は笑顔で弱者の布団を剥ぎ取り、その布団を家族にかけてやる時代。

しかも恐ろしいことに、その家族はその事を知っていて、受け取る時代だ。

我々の手は既に弱者の血まみれなのだ。

そしていつ弱者に落ち、他者にはらわたまで貪り食われても不思議ではない時代。




来年のクリスマス、あなたも私も、今日と同じように過ごせる保証はない。

だが確かな事がひとつ。



来年、私は敗者に落ちているかもしれないが、生き方は変えない。

私を踏みつけて行った人達がそうであったように、うすら笑いを浮かべながら悪事を働き、「皆さんのために頑張ります」とのうのうと言い切る生き方は選ばない。

来年も、私は恩には恩をもって報い、裏切りにはそれ以上の報いをもって答える。

変節はしない。

私は意地っ張りなのである。


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