美意識

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埼玉に越してもうすぐ7年になる。

最初は東京も埼玉も大して変わらないだろうと思っていた。

電車で1時間で着くのだから、そう変わるはずもないと思っていた。



ところが、実は大違いである。

人々を見ていると、驚くほど自分主観である。

少なくとも都内で数年暮らした人間なら、駅や道路で自分の横の人間、後の人間を無意識にしても意識しているはずである。

そして最低限のパーソナルスペースを取ろうとする。

しかし、埼玉の人間はそれがない。

驚くほどである。

自分が立ち止まりある行動をすると周囲にどんな影響が出るかを考慮していない。

かつ、自分が考慮していないことを自覚していない。



しかしながら、彼らを責める事が本位ではない。

野良犬に吠えるなと怒るのと大差ない。

何故ならそれは習得して身につくものなのだから。

身につく環境・意識がなければ、身につかない。

「なら東京の人間は、訓練したと言うのか」と思われる方もいるだろう。

修練はしていないが、意識している。



山手線の中で弁当を広げ酒を飲む人間はいないが、埼玉では驚くほどいる。

私の住んでいる地域は、元々は幕府直轄の天領であった地域。

天領には知識階級であった武家は少ない。

だからどうとまで書くのは避けるが、納得はいく。



なるほど埼玉の人々を見れば、東京の人間と変わらない格好をしている。

ブランド品を身につけ、私などよりよっぽどオシャレに着飾っている。

だが・・と思う。



私は人をみる時、歩き方、座り方を見る。

歩き方には知性が、座り方には育ち方が出る。

これは間違いないと思っている。



歩みに意思を込めない利口者はいるかもしれないが、意思を込めて歩む愚か者はまずいない。

40年生きてきて、間違いないと思う事がある。

「育ちは隠せない」

歩き方を見ると、その人の持つ品位と言うものが現れている。


美意識とは、着飾って身につくものではない。

常に問いかける意識として、受け継がれるものだ。

美意識のない家庭に、美意識は決して育たない。



武家の人間が何百年育んできた意識と言うものは、100年程度で消えてしまうものではない。

ゆえに・・・というわけだ。
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