持たざるものは幸いである

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持たざるものは幸いである・・・とは、キリストの言葉だったか。

40代に入り、この後の人生を1人で生きていく決心が出来たと感じている。



血の繋がった人間はまだ生きているが、家族と呼べる信頼はない。

お互いに裏切り者と思っているだろう。

姉にとっては、富裕層に踏みとどまるため、夫の不正を告発しようとした弟は、生活基盤を揺るがす大罪人。

弟の私からすれば、4人家族だった私の実家を男に狂って、ガンの母を置いて、当時勤めていた会社社長の囲われ愛人となった女。



しかも、乗り換えて会社社長のご夫人。

誰も銀座のホステス上がりの愛人様なんて思わない。



私は日本人の平均収入の半分以下の貧困層に、「今は」入っていない。

だがいつ入ってもおかしくないと思っていし、事実出入りしている。



父も母も死に、姉には裏切られた。

付き合った女性もみんな浮気。

今なら、その理由が良くわかる。


私には誠意を尽くす「商品価値」がなかったのだと・・・。

世間では子供に「悪い事をするな」「人に指を指される事をするな」と親が子供に教えるものだが、事実は反対である。

贅沢して労働せずとも暮らしていけるなら、夫の不正にも目をつぶる。

商品価値があれば、何でもありというわけだ。




40代の男1人。

これからは誰にも信頼をおかず、1人で生きていく。

家族はない。





だが、人生というものの意味がわかったような気がしている。

持たざるものは幸せである。

何故なら、自分を守るために偽りの言葉を吐く必要がない。



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