100人のうめき声が、1人の笑い声を支える

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週があけたので、先週のことになるが・・。

私の乗っている電車の路線で、1時間以上の遅れが3回あった。

5日間の往復10回のうち、3回が1時間以上の遅れであった。

原因は全て人身事故。



駅員に確認したが、自殺との事であった。

駅員に話を更に聞くと、遺族には多額の請求はしているが自殺はなくならないという。

まぁ死ぬ人間に後の心配をしろというよりも、最期の方法をとる人間に後の心配をしろという方が酷だろう。




確かに通勤電車での自殺は迷惑であるし、何万人もの貴重な時間を奪い、経済的損失も多い。

だがそれは置いておこう。




電車への飛び込みは、頭や胴体の切断にならない限り、即死はしないという。

自殺を考える人間で、なおかつ衝動的な自殺でないなら、恐らく知っていると思う。

ホームから飛び込んだ人が運転席の窓を突き破り、客室部分まで飛び込んだ事があるという話を聞いた事があるが、即死ではなかったという。




私もホームに立つ時、考えた事があったが肉体的苦痛を考えると出来なかった。

彼らも何度もホームの端まで進み戻り、進み戻りを繰り返したと思う。

その恐怖はいかほどのものかと思う。

もう死ぬしかないと思うものに、その上肉体的恐怖を乗り越える試練を強いる社会。




私は安楽死を求める権利はあっていいと思う。

それこそ財産の没収でも、臓器のドナーにでも、彼らは喜んでなるだろう。

何故なら私もそう思うからだ。

眠るように逝かせてくれるなら、多くの人が安楽死を臨むと思う。

何故なら私もそう思うからだ。




今、自殺を考える人がいたとするなら、医師でもない限り、肉体的苦痛や恐怖感を持たずに実行できる方法は限られている。

自ら死にたいと思う人間に、安らかな死を与えるというのは罪なのだろうかと思う。




これからの社会は、ある意味身分の固定化された階級社会になるだろう。

富める者は更に富み、持たざる者は更に貧しくなる。

貧しい者の子供らが学習するチャンスは、富める者の子供らより少なくなるから、彼らも固定化された身分の壁を越えられない。

テレビを見て毎日楽しく暮らしている人は気がついていないかも知れないが、我々は真の富裕層1パーセントから見れば、草刈場の牧草なのだ。

100人のうめき声が、1人の笑い声を支える社会になる。

これはある意味、健全な資本主義社会の姿なのだが、それゆえに多くの敗者を生み出さざるを得ない。

そして牧草は生えていなければ役に立たない。

それゆえ勝手に草刈場を出て、枯れる事は許されないわけだ。




私は幸運にも富裕層で生まれ育ったが、器量に欠けたせいか下層に落ちた。

今は人並みの生活を送らせて頂いているが、何度も地に落ち、泥水を飲むような生活もした。

死ぬに死ねず、かといって明日への道筋もない。

そんな生活を味わった。

また親族は富裕層にいるから、彼らがどうやって牧草を刈っているのかをこの目で見てきたし、刈り取った牧草をどう扱うかも見てきた。




心の底から思う。

偽りではない。

真のセーフティーネットとは、生活保護ではない。

真のセーフティーネットとは、薬物による安楽死である。

少ないとも私は、そちらを選ぶ。





頑張ろうニッポンと大きく書かれた駅の看板の下で、自立しようとホームレス自立の為の支援雑誌を売っているホームレスを避けて歩く人々。

これが現実。



「生きていれば・・いいことも・・」という人もいる。

かもしれない。

しかし、家族に裏切られ、悪事を断って苦境に立つものもいる。

家族も希望もない中で、買い叩かれる人に向って「いいこともありますよ」と励ますほど、私は面の皮は厚くない。



2万人が亡くなった震災をビジネスチャンスと考えるほど、追い詰められた国に我々は住んでいる。

そんな事を思っている時、街の中にあふれる笑い声がどうしようもなく私を苛立たせる。



恐らく線路を見つめていた彼らも、そんな気持ちだったのではないか。



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