まるで代理の標的である

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現在、ある大学の教授がNGOなどから責任追及され、解任の署名集めをされているという。

100ミリシーベルトうんぬんという話だ。


これは、どうしたものだろうか・・。


彼と市民の話し合いの議事録を読んだが、彼が「危険とは言い切れない」と言った趣旨の言葉尻を捕らえて、責任を取れるのかイエスかノーで答えろと問い詰めている。

彼が安全といえばそれを指針として逃げない。しかし、なにかあったら責任を追及したいという構図に見える。


安全と安心は違うのだ。

安全は誰が見ても安全なこと。

安心は、個人のレベルによる。

1キロ先の火事でも、「延焼する」と逃げる人もいるだろうし、向かいの家が燃えていても逃げない人もいるだろう。

その判断は、強制的な避難指示がない限りは本人の判断である。

ただし本人の判断だから、逃げたといって国は助けない。



向かいの家が火事である。

避難したいが、消防署は大丈夫だと「思う」と言っている。

避難したいが、非難したとしても市役所は生活の面倒は見てくれない。

だから逃げるに逃げれない。

だから消防所長に絶対に火事にならないのか保障しろと言っている。


こうして話を小さくすると、無茶な話である。


自己判断に対して思考停止しているように思う。

気象庁に津波は来ないと保障しろ、出来ないなら避難費用を出せと言っているようなものである。


子供や家族が心配なのはわかるが、彼は科学者である。

実験とデータに基づいた話しか出来ない。

彼を責め立てるとは、いかがなものかと思う。

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