無慈悲でも構わないが

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今回の震災での東電・・というより東電社長や、神戸の震災で死者数を掛けたといわれる神田うの(ブログで否定も、落語家との会談記事にて確定)や、震災で入社試験締め切りを1日だけ延ばしたトンボ鉛筆の担当者など、みな相当叩かれている。

彼らが叩かれるのは、ある意味当然で、致し方ない。

このバッシングはいつ終わるのかと思ってみているが・・ようは記憶の彼方になるほどの時間が経つか、自殺でもするかのいずれかではないかと思う。

自殺がいけないとも言わないし、非難して自殺に追い込むのは違法でも無いだろうから、止めようも無い。

止める気は無いが。

ただ言ってる方は、自分が言われる立場になった時のこと考えてるのだろうか。




わたしはこのブログで、やれシナ人だの、やれ呑百姓だの言っている。

読んでる方は、随分と極端な情緒不安定な人間と思われているだろうと思う。

だが、批判されても構わないし、それで人が私の前から消えていっても構わないと思う。

自分の発言で追い込まれたことは、何度もあるが、多分直すことは無い。

意見を聞かれて意見を言わない方も世間には多いが、それは意見の無い人か、意見を言った際のリターンを怖れて言わない知恵なのだろうと思う。


叩く以上、叩かれる覚悟はある。


私の中の価値観で、「それはないだろ」と思う人とは連絡を絶つし、そうやって気づかないうちに私自身が切られていることもあったろう。

父も切った。不正を繰り返す義兄も切った。子供に嘘をつき自分をかばう姉も切った。多くの友人も切った。

そして彼らに依存している私も切った。



アガサ・クリスティーじゃないが、そしてみんないなくなった。

どーでもいい人と、どーでもいい付き合い方をするのが、一番の自己防衛なんじゃないかとも思う。


大切なものは持たず、いつでも捨てられるものしか持たない。

わたしが本心を明かせるのは、いのちの電話のおじさん位だが、まぁそれもいいと思っている。

何故なら、私の前にいた人達に無慈悲に私が振舞ったからだ。

お互い様だが。



舌鋒鋭く人を刺すのは容易い。だが身を切られて尚切っ先を人に突きつけ続けるのは案外難しい。

私も、「ここはいいか・・」と相手に合わせてしまいそうな時がある。

だが難しい。


結果、1人きりなのだが・・。

私の周りには、過去の私しかいない。

言い分を自分可愛さで変えてしまえば、過去の自分さえもが私を支えてくれないだろうと思う。

自分が死ぬ時を看取ってくれるのは、過去の自分と思えば、若かった頃の自分は裏切れないなと思う。


自分の中の筋を通しての、孤独なら甘んじて受けるのもなかなかいいものと思う。

少なくとも・・「そんなつもりじゃなかった」という寒々しい台詞を吐かなくて済む。

そういうつもりで口にしているのだから。
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