チャンス以外、世の中平等であってはならない。

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最近、「平等で無い」という言葉をよく耳にする。いかがなものか。



例えば・・男女が10人ずついたとする。

そしてそれぞれもてる者順に順番付が出来ていたとする。

で、このグループ内でカップルを作っていくとする。

すると・・1位の男女、2位の男女・・となり、全員カップルになるはず。本来はね。

しかし、現実には、10組のカップルにはならない。

何故か・・。それは、上位の男性が複数の女性を保有するからである。

そして、下位数人の男性は、女性資産を持てない「貧困層」となる。


これは資産も同じ。女性を資産と同じと言うと、ジェンダー論者は目くじら立てそうだが、人類は5000年の歴史の中で女性を「資産」として、多くの父系社会では女性の父が夫に「娘」という資産を譲渡すると言う形式を取っている・取っていたので、純然たる資産。

「お嬢さんをください」というのは、「あなたのコミュニティに入り、富を配分しますので、女性資産を譲ってください」というのと、同意なのである。





さて、何が言いたいかというと・・・。

資産の平等化は、まず不可能と言うことだ。

例えば、日本ではトップ1パーが富の25パーを独占している。

トップ10パーまで広げれば、70パー程度の独占になるだろう。

同様なことは、アメリカ・中国・ヨーロッパでは、より激しく進んでいる。

つまり・・資本主義とは、「機会以外は、平等ではないシステム」であり、「資産が平等な資本主義」という言葉は破綻している言葉なのだ。

これから将来は純然たる資産量による階級社会となるのは目に見えているし、階級間の移動もこれからはほぼ固定化され、それを乗り越えるのは至難の業になる。

つまり貧乏人の子は、高等教育を受けられず、親と同じように貧乏人のまま。中には上の階級に行くものも出るだろうが、それには膨大な努力と運が必要となる。

平等なのは機会であって、資産ではない。そして、その機会とて潤沢では無いということだ。




よく「東大なんて大した事無い」という人がいる。事実かもしれないし、事実で無いかもしれない。

都内進学校から東大に受かるには、1日平均10時間の勉強が必要であると言われている。

これが受験テクニックか、豊かな知識かは、この場合問題ではない。

1日10時間費やす必要があり、彼らはその対価を支払ったと言うことだ。

その進学高校に入るには、また膨大な対策時間が必要だ。

そして入らなかった人々は、機会は平等であったにも関わらず、その時間をほかの事に浪費してしまったと言うことだ。



これは他の事象でも共通している。

機会を浪費してしまったにもかかわらず、平等を求めるのは矛盾している。

いいとか、悪いとか言ってるのではない。そういうものだと言っているだけだ。




「チャンスが、二度君のドアをノックすると考えるな。」と語ったのは、ジャンホールだが、この言葉には続きがある。

「ノックしたチャンス側にドアノブがない。チャンスはノックは出来るが、ドアを開けることは出来ない。ドアノブは、私たち側にしかないのだから。」



言い得て妙である。

そして残念なことに、チャンスの自動ドアはまだ開発されていない。
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