その程度のことで止めるなら意味がない

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民主党の女議員に批判が殺到しているそうだ。

例の転倒した三宅議員だが、2chやツイッターなどでも「わざとらしい」「演出」と批判され、事務所にも100本以上のクレーム電話が来ているそうだ。

知恵足らずの民主党の議員の事を、あれこれ言うつもりはないが、彼女は自身のツイッターを停止させたそうである。

民主党は以前からネットでの選挙活動を進めているが、都合が悪くなると停止というのでは、その程度が知れるというものである。

批判を受けて、それが自身の立場に沿わないのなら、徹底的に説明し、論破すればよい。

停止というのは、思考停止という逃げにしかならない。

まぁ、三宅ごときが論破できるとも思えないが・・・。

以前、このブログでも数年前に原爆投下を容認する意見を書いた時に、沖縄県民から批判の意見を頂いたが、徹底的に反論した。

正しいと思えば、ブログが炎上しようが、世界を敵に回そうが、徹底的に主張すればいいのである。

世間を敵に回す覚悟もなく、都合よく言いたいことだけ主張したいというのは、民主主義的ではない。

今の世の中、何を言っても誰かを敵に回し、誰かを傷つける。

その覚悟がなく、嫌われたくないものは口を閉じているべきだ。

人間は所詮、絶対的に孤独なのだ。

理解というのは希望的妄想に他ならない。

人間というのは、他者との完全な相互理解を持ち得ないのだから、傷つけあうことを前提に主張し続けるべきと考える。

誰にも心底嫌われない人間というのは、誰からも心底愛されない人間なのだ。

ならば、心底嫌われる人間のほうがましというものである。
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