帰る場所

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すっかり正月気分も消え、世の中がいつものペースに戻っている。

多くの人が、家族の待つ場所・生まれ故郷に帰ったことだろう。

故郷に帰りたい人がいる。
故郷に帰りたくない人がいる。
帰るべき故郷がない人もいる。

私は東京品川の出身だが、もはや東京に帰る場所はない。

地方出身者である父は故郷で余生を過ごしているだろう。
もう20年間逢っていない。

母は他界し、姉は結婚した。

私の一族は、父と私だけになっている。

もう私には帰る場所も、帰るべき場所も、
もうこの星には私を迎えてくれる場所すらない。

私の居場所は、私が立っているこの場所のみである。


帰るべき場所を持つ者達にとって、自分を迎えてくれる場所に立ったとき、
ゆっぱりここなんだという想いを抱くものと、
やはりここではなかったかという想いに至るものがいることだろう。

帰る場所と言うのは、帰っていくものの想いでどんな風にも変わる。

帰りたければ、帰ればいい。

帰りたくなければ、帰らなければいい。

だが、帰るものにとって自分の思い描いた「帰るべき場所」であるとは限らない。


それはすべてについて言えることだろう。

家族のもとでも、恋人の腕の中でも、美しい思い出の場所でも
アメリカでも、東京でも、アフリカでも、
そこが自分の思い描いた場所とは限らない。


どこもかしこも、一時的な住処なのかもしれない。


どんな場所でも、自分が変わっていけば、
良くも悪くも収まりが悪くなっていくものだ。

子供のときの服が着れなくなるように、
母の胎内から生まれても、母の胎内に帰る事がないように。


我々は、私は、
その「場」に帰りたいのか、
その場所にいた「人」のもとに帰りたいのか、
それとも、その場所にいたはずの「自分」に帰りたいのか・・。


果たして、どれだろうか。


考えてみれば、どれもこれも、わがままな「帰りたい」だろう。



何故なら、場所も、人間も、自分も、時間の流れに逆らって、
変わっていくのを止めることなんて出来ないものだろうから・・。



結局、帰らなくていいんです。


帰りたいと思っていたところがどうなっているか、
「たしかめに行く」だけなのだろう。


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