敗戦記念日

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本日8月15日は敗戦記念日である。

日本は連合国に屈し、敗戦国として恥辱に塗れた。

現在日本は自由主義国家として復興し、繁栄を築いた。



「どんなことがあっても戦争はしません」


不戦の誓いは、間違っているとは思わないが、疑問は残る。


「どんなことがあっても」とと言うことは、本当にどんなことがあっても戦わないのか?


当時の日本を批判する人達がいる。
なるほど、悪かった点もあるには違いない。

しかし、現在の状況とは違うだろう。

欧米列強によるアジア植民地支配を背景として、日本に対する包囲網があり、
油も無い、鉄も無い、食うものも無い。

それでも・・今の北朝鮮のように何百万が立ち枯れようとも、耐えるべきだったのだろうか。


そもそも私には、ひとつの疑問がある。


「あの戦争は悪か?」


戦争は善ではない。無いに越したことは無い。

国際法では、国家には交戦権があり、戦争自体は違法ではない。

正義は国の数、民族の数だけあり、その正義や民族の生存を賭け、戦火は開かれる。


あの時代のあの状況で、どうできたと言うのだろう。
植民地になり、欧米の列強を受け入れるべきとでも言うのだろうか。

国を守ろうとして、志敗れて敗れた敗軍の将に戦犯の汚名を着せるのが、
正当な評価なのだろうか・・。

家族を守る為に血反吐を吐いて戦った父親を犯罪者と言うのが、
今の日本なのだろうか・・。


「どんなことがあっても」とは、本当に覚悟の上で言ってるのだろうか。

私はとてもではないが、そんな誓いは誓えない。

目の前で妻が犯されていても、戦わないとは言えない。
子供が殴り殺されても、戦わないとは言えない。

そんなことが起きないと言う人たちは、中国人の恐ろしさを知らない。
韓国人の残虐さを知らない。アメリカ人の、ロシア人の冷酷さを知らない。

通州事件のようなことは、戦火の下では現在も起きている。

一度の敗戦の為に、去勢された自虐史観を植えつけられ、
他国も同一の価値観を持っていると信じ込んでいるから、
話し合えば解決すると言う妄想を信じ込んでいる。

日本人同士でさえ、互いを理解できず、憎むことがあると言うのに、
なぜ文化・政治システムの違う他国に全面の信頼を置けると言うのだろう。

ましてや、我々の為に行きたくもない戦地に赴き、
「靖国で逢おう」と闘い死んだ父祖の英霊に対して、
参拝すべきではないとは、自らの父祖に対し不敬である。


先の大戦の日本最大の失敗。

戦争を始めたことではない。

それは「敗れた事」。

その一点に尽きる。
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