記憶

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私のおぼえている限り、一番古い記憶は、おそらく3歳の頃だ。

東京の田無市の自宅。
多分、父の出勤時間の頃だと思う。
朝7時半くらいだったろう。

母が台所仕事をしていて、父は洋服ダンスの前でネクタイを締めている。
姉は制服姿でパンを食べていたと思う。

私はと言うと・・アヒルさんのおまるにまたがっている・・
(人生最初の原風景が、おまるの上・・)

まぁ、おまるの件はいいとして・・。

それが、私の一番古い記憶だ。


私が生まれた直後、父は交通事故で長期間入院したらしく、
生後数週間で母の実家の福島に預けられ、経済的な理由もあって、
2歳頃まで福島の魚屋にいたので、やはりおまるに乗っていたのは、
3歳頃のことだろう。

44年生まれだから、47年頃の事だろう。

当時、我が家は困窮生活から抜け出し、狭いながらも1階を美容室にして、
なんとか生活していたようだ。

私の父は金属の研究者として、超有名企業にいたが、特許を巡るトラブルで
退社して上京。
最初は肉体労働を始めて、その後会社勤め。

母は、最初今で言うメイクさんだったらしく、その後美容師になり、
当時家の一階で美容室をしていた。

高度成長期ではあったが、まだ裕福とはいえない家庭だったようだ。


その後、父はバブルの風に乗り、収入は比べようも無いほど倍増し、
引越しを何回かして、東京の国立に大きな家を建てた。
私は受験戦争で鉢巻をして、坊ちゃん学校に入学。
母は美容師として家庭を支える必要がなくなり、専業主婦へ。


確かに父の大変な努力のおかげで、豊かな生活と、様々な選択肢を与えてもらった。
6畳の居間が広いリビングには、変わったのだが・・。


お金と言うものは、人を変える。

父が食卓を囲むことも無くなり、私も深夜まで塾通いに家庭教師との勉強。

ひとりきりで食事をすることがほとんどだった。


たまに父が家にいる時に、姉は「パパ♪」と甘えていたが、
当時から変わり者だった私は甘えることも無く、
「欲しいものはあるか?」と言われても、「別に欲しいものなんで無い」
と言っては父の機嫌を損ねていた。

高校の頃になると、姉は恋愛のことで父と対立し、家を出た。
母がガンで倒れ、家には私だけ。

学校から帰り、勉強。
夕食時には、自分で自分の為だけの食事を作り、洗濯などなど・・。

性格的に不良のような悪にもなれず、ひねくれ者として、斜に構えていたと思う。

誰もいない家にひとりきり。

学年で常に上位だった成績が落ち始めた時、父が話しかけてきたことがあった。

「どうしたんだ?」「なにか不満があるのか?」「寂しいのか?」

詰問するように矢継ぎ早に聞かれたが、「別に・・」と自分に閉じこもった。


「寂しいのか?」と聞かれた時、内心「寂しいに決まってんだろ」と
叩きつける様に言いたかったが、言うことは出来なかった。

あの時、言っていたらなにか変わっていたのだろうか。

結局、父の浮気や様々な問題があり、1年ほどで我が家は離散した。

以来、18年間父と話すことも逢うことも無く、母も亡くなった。



以前長期間勤めていたバイト先の女将さんに「あなたは異常に愛情に飢えている」と言われた。
義理の兄には、「僕は君の様に家庭家庭という人間にはなれない」と言われた。


おそらくこの私の感情と言うのは、単なる無いものねだりの反動なのだろう。


なんで、今こんなことを思い出したのだろう。

今日のブログを読んでくれた人は、読み捨てて下さい。
おやすみなさい。
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