弁護士

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昭和8年に改正された弁護士法の冒頭には、弁護士の使命及び職務として、
次のような文章が載っている。



第一条 
弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、
社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

(弁護士の職責の根本基準)
第二条 弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、
法令及び法律事務に精通しなければならない。




日弁連のホームページには、その解説として次の文章を載せている。



基本的人権の擁護とは、憲法が保障する基本的人権に対する侵害を回復・救済し、
又は未然に侵害を排除することをいい、社会正義の実現とは、
人が社会生活を送るうえで、絶対的に自由であり平等であることを
達成することをいうものと解されています。
弁護士は、この理念に基づいて誠実に活動し、
「誰もが安心して暮らせる社会」の実現に取り組んでいるのです。




なるほど、さもあろう。


冤罪の可能性はいつでも存在し、弱者の立場にあるものたちを救うことは、
実に有意義な職務であり、尊敬に値する職業であろう。

私もそうであるように、全ての人々がいつ殺されるかも判らず、
またいつ殺人を犯す立場になるかもわからない。

法治国家である以上、弁護士には検事と同等の価値と責任がある。



ここからは、極めて私的な意見だが、最近の弁護士活動を見ていると、
首を傾げるを通り越し、血の滾る思いである。


小学生になったばかりの女の子に暴行し、泣いている少女の前で、
性器を露出し自慰行為に及び、最終的に殺害に至ったペルー人に
本当に更正の余地はあるのか?

計画性がなければ、少女を殺しても極刑には出来ないのか?

そしてなにより、死後の行為であれば猥褻行為ではなく、
単なる死体損壊であるという主張。



先日の山口・母子殺人事件にしても同じである。

「女性に母を感じ、甘えたい」として、作業員を装い、室内に押し入り、
騒がれれば殺害の上、遺体を死姦。
母を無くし声を上げてなく幼児を床に叩きつけ、なおも母にすがる子供の首を締め、殺害した行為も、殺人ではなく「不慮の事故」。

死後であれば強姦しても、強姦致死ではなく死体損壊。


被害者に過失でもあったというのか?


ここは本当に法治国家か?


彼らのような鬼畜を弁護し、世に放つことが、
「誰もが安心して暮らせる社会」の実現への一歩なのだろうか。

本当なら、被疑者に対して反省を促し、
犯した罪に対する後悔と償いの気持ちを持たせるべきではないのか。


自己の信念は自由だ。死刑反対なら署名でも集めればいい。


だが、現実に遺族が血の涙を流している事件において、
自己主張の場として、裁判を利用している弁護士にその資格があるとは思えない。


日弁連は、何故彼らを認めているのだ。




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