黒澤浩樹という男

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1997年10月11日。

わしは東京ドームにいた。

今では格闘技の興行として確立され、世界に配信されている「プライド」初回開催。

高田vsヒクソン・グレイシーがメインイベント。

だが、わしにとってそれ以上の期待を持って待っていた男の試合があった。

黒澤浩樹という男の試合である。

この黒澤という男、格闘技ファン特に空手ファン以外では、知る人も少なかろうが、
化け物である。

1984年の第16回極真全日本空手道選手権大会に初出場し、
恐ろしいことに史上最年少で初優勝する。

ちなみに言っておくが、極真はそこらへんの空手道場とは違うフルコンタクトの殺し合いをしているような化け物の集団であり、世界最大の格闘集団であり、その全日本を制するというのは、打撃では日本一、その戦闘力は世界に通じるという意味である。

第4回全世界空手道選手権大会での対P・スミス戦では、歩行不可能になるまで闘い、
第8回ウェイト制大会での七戸戦では、左薬指の骨を露出させた開放骨折のまま試合を続けた剛の者である。

わしの敬愛する角田信朗も、彼にはボコボコにされ、1RKOされている。

その日、プライドではメインダートというオランダの巨漢と戦い、
組み付かれ投げられ、着地の際に足をひねり、膝前十字靱帯、内側靱帯が完全断列、ハムストリングス筋断列というアクシデントに襲われる。

常人なら泣き叫び、正気を保つのさえ難しい激痛であったはずだが、
恐ろしいことに彼は立ち続け、そのうえ物理的に立てるはずの無い足で、ローキックを打ち続けた。

試合には敗れた。

リハビリに苦しみながらも復帰を果たし、K1などで若手の壁となり続け、
現在では東京都中野で道場で後進の育成にあたっている。

荷物を整理していて出てきた空手をやっていた頃の胴衣を見て、
ふと彼を思い出した。

苦しい試合の中の最中は、「膝さえつけば、楽になれる」「倒れてしまえば、開放される」「何の為にこんなに苦しい事を・・」と思ってしまいがちである。

少なくとも、わしは滅多打ちにされている時、繰り返しそう思ったことがある。

何度も腰砕けで這い蹲ったこともある。奥歯もほとんど折られた。

「運が無かった」「相手が悪かった」「仕方ない・・仕方ない・・」

正当化をしようとするが、「天知る地知る、我が知る」である。

今にして思えば、試合も、現実の世界もそう変わりはしない。

1度手にしかけたもの。指先は触れたもの。手に入れられると確信したもの。

それを掴みそこね、言い訳しつつも、その敗北の原因は他ならぬ自分が選んだ選択ということを、心の中では知っている。

ぬぐってもぬぐいきれない敗北感。

その味を知っているかいないかと言う差は、とてつもなく大きい。

「もう2度とあんな想いは・・」と思えば、耐えられない事はあるまい。

少なくとも、明日というなんでもない1日、玄関を開け、世の中という試合場に上がる時は、帯を締めなおし、十字を切って、試合終了の太鼓が鳴るまでは膝を着かない覚悟で行こうと思った。

黒澤のように不屈とは行くまいが、意味の無いことではあるまい。

そんなことを思った夜更けである。押忍。
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