茶巾寿司

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今日は仕事で、2駅先の街に・・。

お昼ごはんを買いにスーパーへ・・。

久しぶりに茶巾寿司を見ました。

私の母はこの茶巾寿司というものが好きで、子供の頃よく食べていました。

19歳の時に1人暮らしを始め、新聞配達をしながら細々と暮らしていた頃の話ですが、
父と衝突して家出した姉と再会しました。

今から16年位前かな。

私も1年以上父と会っていなかったし、姉も父に数年会っていませんでした。

親戚から父が仕事で渡米したとの連絡があり、母に会うなら今だということで、
姉と飛行機に乗り田舎に住んでいた母を訪ねることになりました。

新聞配達というのは、食べるのには困らないけれど、
手取りで言うと当時5万程度で、まぁ貧乏の極みだったのですが、
何とか飛行機のチケット代を捻出しました。

ただ、せっかく母に会うのだから何か土産のひとつでもと思っても、
はっきりいってチケットを買っただけで使い切ってしまい、
生活費も全部使ってしまった状況だったで、まともなものを買えませんでした。

当時、銀座に住んでいて出発の日に、なにかお土産をと思いつつ、
銀座付近を歩いていたときに「京樽」という寿司チェーンのお店を発見。

「あっ、寿司にしよう」

と思い、値段を見るとそれなりのものは2000円以上・・。

そんな金は無かったので、店頭で見ていると片隅に茶巾寿司が・・。

2個で700円。これなら買える!!

今でもそのときのことはよく覚えています。

姉と落ち合い、飛行機で一路西へ。

姉は生まれたばかりの姪を見せ、それこそ山のようなみあげを母へ。

私は稼げない自分を恥じつつ、茶巾寿司を母へ。

「あぁ、これ、久しぶりー。食べたかったのよ。ありがとうね」

考えてみれば、父と母は金には一切困らない生活をしていたので、
いつでも好きなものを食べていたはずなのに、気を使ってくれたのか
喜んでくれました。

今でも黄色い薄焼き卵に包まれた寿司を食べてくれた顔をよく覚えています。

その日から3年後くらいに癌が悪化し、9年前に母は亡くなりました。

父との確執などの事情もあり、この時を含めて独立後に母と会ったのは2回だけ。

死に目にも会えず、死後半年後に親戚から知らされました。

昼食用に買った茶巾寿司に箸をつけられず、
帰宅後そんなことを考えながら、寿司を見ていました。

今だったら・・今だったら・・。

今が母のところに逢いに行ったときだったのなら・・。

今更どうしようもないのに、そんなことを考えてしまいました。

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