スカイプ

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今年に入ってパソコンのOSをXPに変えた。

おかげで今まで導入することの出来なかったソフトを使えるようになった。

フラッシュもそうだし、スカイプもそうだ。

普段、友人たちと話すときはヤフーのメッセンジャーを使っていたのだが、
最近はスカイプを導入し使っている。

メッセでは、やはり音質も悪く接続も不安定だったりしたのだが、
スカイプにしてからは、すこぶる快適である。

相手があくびをしても、タバコに火をつけたことさえ気配でわかる。

実際隣にいるようで、話していて楽しい。


ネットも2000年を越えた辺りから日本でも本格的に普及し、
世界でも日本は有数のネット環境が整った。

一昔前なら、海外に赴任すれば浦島太郎といわれるように、
日本での事情に疎くなったものだが、ネット時代になってそんなことはなくなった。

たしかにハード面の発達により、地球は狭くなった。

世界中どこにいても、オンラインさえすれば意思の疎通が出来るようになった。

インテルでは、電気が来ていない地域のために、ダイアルを回して発電すると数分間使えるパソコンまで開発している。

快適な時代になったとは思う。

このブログでも、たいしたことでもないことを書き、
自分の意見を発信できるし、すぐに反響の来ることもある。

が、いくら便利になったとはいえ、個人間の距離が変わったわけではない。

いくら距離感という意味が現実感を持たなくなったとはいえ、
個人の間には、感覚の差、感受性の違いというものが依然存在する。

それこそ、100年後にでも記憶の外部記憶化が成功し、
人間の意識が並列化しない限り、解決することはないだろう。

人を批判するときには、自らに対する批判も受け入れる覚悟も必要だし、
なによりも自分が人を傷つけるという行為に対しての覚悟が必要だ。

どんな人間関係にも因果関係というものは存在するし、
喜ぶ人間の裏側には、悲しむ人間が往々にして存在する。

ブログやウェブサイトというのは、個人の意見や感情の発信の場として、
非常に有効なツールではあるが、それと同時に他者に対して
ハンマーにも花束にもなりえることを再確認せねばならないと思う。

それはいかなるハードでも乗り越えられるものではないし、
コミュニケーションという手段以外では解決できないだろう。

完全なる相互理解という言葉が、
たとえ空ろな響きを持つ現実感を伴わない理想だとしても、
人間は相互理解を必要としているし、
毎夜のように繰り広げられるオンライン上の何万という会話が、
そのことを証明している。

ネット上と、現実生活という両者の壁がなくなりつつある今、
われわれは自らの発する言霊の威力というものを考え、
自らを戒める必要がある。

我々の頭の上で鳴り響く祝福の鐘が、
万人の耳に妙なる響きとして聞こえるとは限らない。
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