和解

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父と和解した。

私ではない。私の姉が父と和解した。
正確に言うと和解とは言えないかもしれないが、
昨年から手紙・電話で連絡を取るようになり、今年の夏父の住む父の故郷へ
子供たちを連れて会いに行ったと、先日姉から聞いた。

父は昭和2年の生まれだから、現在78歳。

私は先日36になったが、父と最後に会ったのは19歳の冬、
退職した父の故郷に半年住んだが、やはり東京に戻りたいと駅のホームで別れて以来だ。
平成になって17年間、顔も見ていないし、声も聞いていない。

姉は私の2年前に父の束縛を嫌い、ひとり家を飛び出した。
姉は約20年ぶりに父に会った。

当時、まだ20代半ばの姉は箱入りで育てられる反面、
裕福だった父の保護下に置かれていたのだが、
今ではその姉の娘は来年大学進学を迎える。

このブログを読んでいない方には、私の家庭環境などは知るべくもないが、
バブル期の父の不動産業の成功・富を持った父の女性関係・父と母のガンの発病と続き、
姉の出奔、私の独立で、私の家族は崩壊離散した。

姉は父に他人行儀に警護で話し、父も名前では呼ばずに気を使っていたという。

「当時は厳しくしてすまなかった」と言ったそうである。

姪の話しでは、姉もこわばっていたという。

その際の父の写真を貰い、母の墓の写真もらった。

良くも悪くも覇気に溢れ、自信に満ちれていた父の姿はそこにはなく、
ただの孤独に余生を一人ぼっちで送る老人の男が写っていた。

私は小学生のときから、父の女遊びを見てきた。
母がガンになってからも、それは続き、姉がいなくなってからは歯止めが利かなくなっていた。

死の床にある母の所に、離婚を迫る愛人が来た事もある。


私は母が泣くのを、ずっと見てきた。


正直、20年近く経とうとも許せる気持ちにはなれない。


父が臨終の際、私が立ち会うときがあるとすれば、
「母の苦しみがわかったか、せいぜい苦しんで地獄に落ちろ」と言うだろうと思っている。

今でも言ってやりたい。

だが、父との再会を話す姉を見ていて、嬉しかった。

姉の顔は以前の険しさが消え、昔の穏やかさが戻っていたように感じた。
姉は独身の私が見せることの出来ない孫も見せることが出来たし、
父にとっては心残りもなくなったことだろう。

私にとってはうらやましくもあり、複雑な心境である。

怨みも憎しみもあるが、姉ととりあえずの和解をしたことも喜ばしく感じる。

私も会ってみたい気持ちがあるが、母の涙も忘れてはいない。

おそらく私が父と再会することはないだろう。

父の死を耳にしても「いい気味だ」と言いつつも、後悔することだろう。

私はそういう人間だ。

親子の縁は切っても切れないというが、
心の中で葬り去ろうとしているひとりの男の生活を耳にすることで、
こんなにも心に波紋が起きるとは思ってもいなかった。

父がバブル期の波に乗る以前の貧しかった頃の春、
小学生になったばかりの頃、家族に連れられて小金井公園に桜を見に行った。

当時は貧しいながらも、家族仲良く、楽しかった。
あの時、母が作ってくれた稲荷寿司の味が忘れられない。

ひどく懐かしい。

誰もが家族の幸せを望み、その為に努力していたのに、
どうしてこんなことになってしまったのだろう。

心を整理するためにブログを書き始めたのに、
キーボードを叩いていて涙が止まらない。

ともあれ、姉は父と和解した。

病気の母を見捨てた私は、死んで地獄に落ちた際に、
その時地獄で待っているだろう父と炎に焼かれながら再会するとしよう。



皆さんは、ただただ家族を大切に。

過去は瞬間の積み重ねということに変わりはない。
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