原爆

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本日、TBSが戦後60年番組として、原爆投下に関する3時間の特番を放送した。

原爆被害者の意見、原爆投下のリアルな再現が主なものだった。

番組の後半、原爆を開発し、実際に投下に立会い、その模様を撮影した科学者が、
広島を訪ね、被爆者2人と面談した。

被爆者の老人は「死んでいったものたちへ詫びて欲しい」と思い、
科学者は「詫びるつもりは無く、悪いとは思っていない」と意見を述べた。

おそらく年齢が高いものほど、反感とともに怒りを覚えたことだろう。

TBSには失礼だが、番組自体がそういう心象を抱かせるように視聴者を誘導している。
音楽・映像を利用し、悲惨さを訴え、被害は食い止められたと声高な番組編集だった。


意図的なものを感じ、現実的ではない理想主義のようだ。


私は60年経った今、広島を敢えて訪ねた彼の勇気に驚くし、
彼はなにも間違っていないと思う。


違いは、彼は武器をもっている集団に属し、我々は属していなかったという点のみだ。


「原爆など作らなければよかった」「落とすべきではなかった・・」

これはまさに理想主義というべきだろう。

当時、日本のみが原爆をもっている状況ならば、当然連合軍に対して使用しただろうし、
それが戦争というものだ。

物事は善悪などで動いた事は歴史上1度も無いと思っている。
全ては国や個人の力関係、因果関係で形作られていると思う。

戦争である以上、相手を殲滅・無力化させることが至上命題だろう。
原爆開発者が責められる事自体が、ナンセンスとしか思えない。

原爆や戦争が素晴らしいといっているのではない。

だが、現実にそこにあるものに対して「いやだいやだ」言っても解決はしない。

戦争被害が嫌ならば、殆んどのアジアのように西欧列強の支配を受けるしかなかった。

被害も嫌だし、従属もしたくないというのは女子供の論理だ。

現実に現在も原爆もあるし、戦争も行なわれている。

現実的な判断としては、戦争に巻き込まれないようにする。
が、せざるを得なくなったら勝者を目指し、
それがかなわないなら負けない努力をする。
それが現実的な判断というものだ。

善悪は関係ない。

強さというのは、正しいという意味ではない。
自分の望むものを他者を押しのけてでも、手に入れる意思の事だ。

ならば強くなるしかない。
なぜなら、殺し合いの無い世界など歴史上1度も無かったし、
これからも永遠に来ないからだ。


あの番組は現在のアメリカや日本に批判的だったが、
今この世で自衛手段・やり返す力を否定するというのは、
得体の知れない村人の中で鍵もかけず武器も持たない能天気な馬鹿のことだ。


万が一、日本が戦争に巻き込まれ、私に原爆の引き金が渡されれば、
敵国に対してためらい無く引き金を引くだろうし、
引ける人間でありたい。

私の後ろに女房子供・親族・友人がいる限り、
彼らの敵を殲滅するのに、なんの後悔・悩みも持たない。
相手が何万人だろうと、私には家族友人の生を選ぶだろう。

開発者の彼も時代をさかのぼり、当時に戻れば
例え結果を知っていたとしても、ためらいも無く引き金を引くことだろう。
そしてそれは悪いことではない。

ちなみに私には、原爆被爆者の親族が2人いる。
うち1人は後遺症で死んでいる。
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