鬱やらなんやら

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先に申し上げますが、本日の日記、心のデリケートな方、
精細な方は読まないようにお願いいたします。

おそらくかなり傷つけることを書くと思いますので、ご遠慮くださいませ。
読む方は自己責任で・・・。

最近に限らず、わしの日記は暴論極論が多いが、今日は腹括って書くよ。

インターネットは楽しい。
キーボードを叩くだけで今まで知りもしなかったことに触れられる。

反面、見たくも無いものが目に触れてしまうこともある。
本来なら見もせず、スルーすればいいのだろうが、見てしまうときもある。

HPやブログの場合、殆んどはハンドルネーム・仮名だ。
わしもそうだ。

もちろん仲のいい人間には、わしが書いてると教える。

しかし、わしとて社会的側面をもっているので、
日記を書く際には言葉を選ぶ。

死にたいと思っていても(思わないが、仮にね)書いたりしない。

何故か。

交友のある人間が読み、なにかしら感じるものがあるだろうと仮定しているからだ。

勿論その時の心模様は書くよ。
だけれど心の奥の闇は見せない。
なぜなら、知人に対しての甘えになるからだ。

仮にここでわしが「死にたい」と書けば、それは知人に対しての甘えだ。

甘えたくないのなら知人に教えず、
単なる記録として遠慮なく書けばいいだけのことだ。

だが、ネットを見ると臆面も無く心をさらしているものが多い。
知人らが読んでいるにも関わらず「死にたい」だの「鬱だ」のと書き連ねる。
まさに臆面も無い。

わしに言わせていただければ、
それは子供が薄目を開けて「僕泣いちゃうよ~」と言っているのに近い。

彼らはまるで「僕の心はこんなにも壊れやすいんだ」
「さぁ、みんなで慰めて!!」「止めてくれないと死んでしまうよ」
と言っているように聞こえる。

繊細なのかも知れないが、
彼らは自分の言葉が他人の心の中に引き起こす波紋と言うものを考慮していない。

こんな事を書くと、「なったことのない人間にはわからないんだぁ」
とか怒るのだろうが、それは当たり前のこと。

申し訳ないが、他人の心なんてそうそう理解できるものではない。

人間同士と言うのは元来理解できないものなのだ。
相互理解などありはしない。
あったらいいなという希望の元にあったフリをしているだけだ。

我々は社会のルールというステップにそって、ダンスを踊っているだけだ。

ステップの踏めないものははじかれ、ダンスホールの端に追いやられる。

「淘汰」というのは、そういうものだ。

それが嫌なら泣きながらでも踊るしかない。

わしは自殺したいと言われて、止めた事はない。
本当に死にたいものは止められない。

東京タワーに登り下を見てたくさんの人を見たときに、
1人ぐらいその中から減っても誰も気にしないし、気がつくことさえ稀だろう。
勿論わし自身も含めてだ。

人間、必要としていない人間に関してはその程度のものだ。
人間にとって本当に必要な人間など、ほんの一握りだ。
自殺を止める人も多いが、それはその人が必要だからというケースはあまり見かけない。
止めるのは、死なれては自分にとって「不快」だからだ。

その事を考えずに、人にすがるのはちと見苦しい。

彼らは何故必要とされていないかを自問自答していない。
している気になっているだけだ。

他人は自分を写す鏡。

それを受け容れられず、なおかつ自分を変えられないなら、
世間を捨てるか、身を始末するしかない。
誰も止めたりしない。




本日の日記、君は読むだろうか・・。
これが君の言葉への私なりの返答だ。



理解されるとは、期待していない。
恐らく読めば傷つくだろうが、その事を承知して書いている。
何故酷い言葉で君を殴るのかを想像したまえ。
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