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立川談志が死んだ。

私は落語が好きなので、彼の高座は10回ほど見た。

名手。古典の名手。それが彼の印象。

話しに入る枕に1時間も世間の話をするが、それがこれまた上手い。

名手だった。

しばらくは彼を超える噺家は出ないだろう。




彼は反逆児と呼ばれる。エゴイストとも。

そうだろうか、確かに選挙に出たり、我流を貫いたりしたが、それも落語への愛。

サラリーマンのように、昨日と同じ事だけしている噺家にまねは出来まい。

古典というのは、洗練され時代を経た新作落語ということだ。

意味をわかって話すのと、わからず話すのでは意味が違う。

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今日、テレビで20-30代の結婚事情をやっていた。

独身でいる理由が、この10年で「しない」から「できない」に変わったそうだ。

お金がない、出会いがない・・・。

正しくもあり、誤りでもある。

育児に金はかかるが結婚に金は要らないし、出会いは探せばいくらでもある。

身の程を超えた「出会い」がないだけだ。




今までに何度も書いているが、今後は固定化された身分社会になる。

貧乏人の子は貧乏、金持ちの子は金持ち。これを超えるのは人並みはずれた努力と、少しの運が必要になる。



しかし多くの「一般女性」は、「年収1000万でー、家事も手伝ってくれてー育児もしてくれてー、毎年旅行に連れて行ってくれてー」と口にする。

本気なのかどうかは別として・・。

彼女たちにとっては、楽して暮らすためのビジネスとしての手段なのだ。

ただビジネスウーマンとして未熟なのが、「では成功を収めた男性がありふれた自分を選ぶ可能性は?」という点が、欠落しているのだが・・。



今年、生活保護の人数が戦後最大となった。東京が焼け野原になった戦後直後を越えたわけだ。

つまり、今は「戦時」。

言い換えれば、いい男はみな戦死(結婚)し、残っている男は片輪(条件不足)ということだ。



ならば一夫多妻を認めればいい。

結婚は免許制にして、50万を超えれば免許発行。500万以下の結婚は認めず。

500万増えるごとに妻を1人増やせる。

システムとして認めれば、保証もつくし、聞こえの悪い愛人が第2婦人になれる。

今の女性なら、貧乏人の妻より、金持ちの第2夫人を選ぶことだろう。



とんでもないと思うかもしれないが、現実そうなっている側面もある。

貧乏人の子は生まれず、金持ちの子供は生まれ続ける。

適者生存の原則にあっているし、身分制度も壊れる。何故なら全員が金持ちでいることは出来ないら、身分が流動化できる。




えっ?愛はどこにあるのかって?

そんなもの、今までも、これからも存在はしない。


日本の裁判所調べでは、夫婦の子供(連れ子以外)の10パーセントは、夫の生物学的子供ではない。

つまり、10人の1人は、夫以外の子供、裏切りの子供というわけだ。

ニュースにならないのは、騒がせないためだけ。

そこには愛などない。


私はイタリア史が好きなのだが・・。

イタリアは今まで2度世界の主人と呼べる存在になっている。

ローマ帝国とヴェネツィア共和国がそれである。

両国とも優れた政体を持ち、繁栄を謳歌した。

ローマは、トロイの木馬で知られるトロイ落城の敗残兵によって建国され、王政→共和制→共和制を基とした帝政→絶対帝政と変化しつつ、現在のヨーロッパの礎を築いた。

かのチャーチルも「カエサルのブリテン上陸が英国の始まり」といっている。

そのローマ滅亡後、蛮族に支配されたイタリアを逃れ泥だらけの干潟に築かれたのがヴェネツィア。

徹底したアンチヒーローの国で、人間というものを信頼しないシステムを構築し、優れた寡頭制を敷き、アドリア海の女王と呼ばれた国。



歴史上のどの国でもそうだが、若々しい成長期にはどんなトラブルでさえ栄養として跳ね除け、成長の糧とする。

ローマはカルタゴのハンニバルに16年間国内を荒らされた第2次ポエニ戦争後、地中海の主人となったし、カエサル登場後は共和制のシステム硬化による危機をガリア戦役後の帝政システムで乗り切り、その後出現していないといえるパクス・ロマーナを作り上げた。



ヴェネツィアも泥と塩水の中から、海洋国家として立ち上がり、地中海の覇者として反映した。

だがそのヴェネツィアも覇権国家トルコとの長い戦いに疲弊し、大西洋航路の開発に敗れ、オランダ・イギリス・スペインに追いつけず、最期はナポレオンに敗れる。



この偉大な2国でさえ、下降線をたどる時には繁栄の時代の政策を忘れ、保護政策を採る。

結果として更なる苦難に見舞われる。

関税を上げれば、商品は沖を素通りしてますます下降線を描く。



視線を変えてわが国を見ても心当たりがある。

バブル時代、繁栄が続くと信じて攻めた人間は破滅した。

今の上海のようだ。

不況が20年続く今、みな守るべき時代として、守りを固め、会社は内部留保を貯めようと必死だ。

しかしどうだろう。

私が知ってる限り、優れた人は守るべき時に攻め、攻めるべき時に守っていたように見える。

政治家然り、経営者然り。



ヴェネツィアが地中海を捨て、大西洋に乗り出していれば・・・。

スペインを凌ぐ海洋技術を誇った彼らが地中海に固執せず、大洋に乗り出していたら・・。

世界の歴史は大きく変わっていたように思う。

スペイン・イギリスのような領地にこだわる覇権国家がアメリカを発見した。

しかし領地より航路と、それによる収益を優先したヴェネツィアがアメリカを見つけていたら・・。



そんな事を眠れずに考えている。
毎年、年の瀬になると鉄道の人身事故が増える。

もちろん車両との接触事故ではなく、飛び込み自殺である。

昨日は五反田駅で、今日は高崎線。

そういえば西武新宿線でもあったとか。

以前新小岩だったか、飛び込んだ女性が跳ね飛ばされ、キオスクに激突し周囲の人間何人かが怪我をしたということもあった。


その度に電車は止まり、何万人にも影響する。

JRでは30分ルールというものがあり、マニュアルにしたがって飛び散った遺体を駅員が30分で拾い集めるそうだ。




ホームに柵を作れば金がかかる。踏切をなくすのも金がかかる。

自分たちで遺体を集めて、ごめんなさいといえば、日本人はそれ以上責めない。

アメリカ人のようにホームの安全管理を怠ったからだと訴訟でも次々起これば、金をかけてでも止めようとするしかないかもしれないが。



ようは「自殺はダメ」といっても、止める気はないのだ。

ダメといっているふりで十分とみんな思っている。

言うだけならただだし、止めたんだから・・と自分に言い訳できる。

止めてはみても、誰も力にならない。なれない。






最期を迎えたい人間には優しさで答えようよ。

何度も書いてるが、行政による安楽死自殺の機関を作るべきだ。

それが優しさというものだ。

苦しみ悶える人間に、さぁ頑張れというのは酷だよ。

自分がその立場になったらという想像力がない。

安らかに死なせるのも愛だよ。




何故なら、明日ホームに立つのが僕かもしれないし、あなたかもしれないんだから。





今日は幸せになれる秘訣をお教えしましょう♪

誰も信じず、大切なものを持たず、どーでもいい人間とのどーでもいい関係のみで耐えることです。

楽しいこと、嬉しいことは追い求めず、平坦な毎日を追及する。

いつ捨てても惜しくないものに囲まれて生きることです。




これなら嘘をつかれて失望することもないし、涙することもない。

心の中で「私は地球にひとりきりで生きている」と唱えれば、嘘ばかりつく人間という獣に囲まれていても、あら不思議♪

いつもの楽しくもなく嬉しくもないが、決して傷つくことのない平和な気持ちになれます。




一般の方には、おすすめしませんけどね。

この年になり、周りを観察していると色々見えるようになって来たかなと感じている。

世間には様々な職業があるが、彼らを観察していると興味深い。

ほとんどの人は、なるべくして今の仕事にふさわしい人間になっている。



駅前で新聞を読んで客待ちしているタクシー運転手しかり、電車の中でもパソコンを開いて追われるような顔をして仕事をしているサラリーマンしかりである。

不満を言いつつも、現状に甘んじている人ほど、その職業が似合っている。




だが時折、本当に時折、キラリと光り「この人は何故この仕事をしているのだろう」と思う方がいる。

話してみると、共通するのは目的意識。

会社のため金のための仕事が終わり、家に帰ってから、自分のための仕事をするか、寝そべってビールを飲みながらテレビを見るか。



ささいな違いかもしれないが、この違いが将来を分けるのだろう。

例えば・・

私があなたをぼろぼろになるまで殴り続けて、深い傷を負わせれば、私は逮捕され罪に問われる。

だが・・

私があなたにひどい言葉を浴びせ続けて、あなたの心に深い傷を負わせても、多くの場合罪には問われない。




この場合のひどい言葉とは、罵詈雑言を意味しない。

淡々と理知的に話す言葉でも、人は壊せる。



なのに・・なぜだろう。

肉体への暴力は罪に問われるのに、心への暴力はその多くが罪に問われない。




夫が妻を殴れば、逮捕される。

だが妻が夫を裏切り、不倫しても逮捕されない。

その反対も同様。




女性を篭絡しては捨てる男は許されるが、その男を叩きのめせば許されない。



肉体への暴力は、心の暴力より軽いのだろうか。

どうしてもわからない。




いいだろう。

いつか報いは受けさせる。

受けさせて見せる。

必ず。


子供と共に暮らすと、「この子がいなければ生きていけない」と思う。

愛する人がいれば、「彼女がいないなら生きている意味がない」と思う。

大切な人がいれば、「この人を失う位なら、死んでもいい」と思う。




たしかにそう思う。

思った。





しかし、生きていけないと思っていたのに、生きていける。

おなかも減る。

笑いたくない気分で、今にも泣きたいのに、下らないテレビで笑う時もある。




そうして薄皮を剥がすように大切な人や思い出を無くして行く。

何年も積み重ねたものも、一瞬で壊れて、忘れられていく。

忘れないのは、壊された人間だけ。

しかし、壊された人間でさえ徐々に耐えられるようになっていってしまう。




思い出を失うのは、大切な人を失うのと同じ位辛い。

生きていけないと思っていたのに・・。

持たざるものは幸いである・・・とは、キリストの言葉だったか。

40代に入り、この後の人生を1人で生きていく決心が出来たと感じている。



血の繋がった人間はまだ生きているが、家族と呼べる信頼はない。

お互いに裏切り者と思っているだろう。

姉にとっては、富裕層に踏みとどまるため、夫の不正を告発しようとした弟は、生活基盤を揺るがす大罪人。

弟の私からすれば、4人家族だった私の実家を男に狂って、ガンの母を置いて、当時勤めていた会社社長の囲われ愛人となった女。



しかも、乗り換えて会社社長のご夫人。

誰も銀座のホステス上がりの愛人様なんて思わない。



私は日本人の平均収入の半分以下の貧困層に、「今は」入っていない。

だがいつ入ってもおかしくないと思っていし、事実出入りしている。



父も母も死に、姉には裏切られた。

付き合った女性もみんな浮気。

今なら、その理由が良くわかる。


私には誠意を尽くす「商品価値」がなかったのだと・・・。

世間では子供に「悪い事をするな」「人に指を指される事をするな」と親が子供に教えるものだが、事実は反対である。

贅沢して労働せずとも暮らしていけるなら、夫の不正にも目をつぶる。

商品価値があれば、何でもありというわけだ。




40代の男1人。

これからは誰にも信頼をおかず、1人で生きていく。

家族はない。





だが、人生というものの意味がわかったような気がしている。

持たざるものは幸せである。

何故なら、自分を守るために偽りの言葉を吐く必要がない。



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