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TPPはやるべきと思うな。

農業などは既得権益を手放したくないだろうが、導入すべきと思う。



農業は今まで高い関税によって、手厚く保護されてきたが、もう止めるべき。

生活できないと農家は言うかもしれないが、では都心部の非正規雇用の人達は誰にも保護されない中で歯を食いしばって頑張ってるではないか。

少なくとも私は、都心で1日300円で食いつなごうとしてる人達は見た事があるが、農家の人達で明日食べる米もないという人達は見た事がない。

都市部の非正規雇用者があらゆる競争に巻き込まれ買い叩かれているなら、農家もそうあるべき。

生き残れないというなら、都市部のワーキングプアと同じになるだけだ。




全ての農家がとは言わないが、甘い考えの農家がいるのだろうと思う。

TPPは導入すべき。

何故なら、我々の資本主義は「最大多数の最大幸福を追求するシステム」だからだ。

平等なのは、チャンスだけという事を忘れてはならない。
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週があけたので、先週のことになるが・・。

私の乗っている電車の路線で、1時間以上の遅れが3回あった。

5日間の往復10回のうち、3回が1時間以上の遅れであった。

原因は全て人身事故。



駅員に確認したが、自殺との事であった。

駅員に話を更に聞くと、遺族には多額の請求はしているが自殺はなくならないという。

まぁ死ぬ人間に後の心配をしろというよりも、最期の方法をとる人間に後の心配をしろという方が酷だろう。




確かに通勤電車での自殺は迷惑であるし、何万人もの貴重な時間を奪い、経済的損失も多い。

だがそれは置いておこう。




電車への飛び込みは、頭や胴体の切断にならない限り、即死はしないという。

自殺を考える人間で、なおかつ衝動的な自殺でないなら、恐らく知っていると思う。

ホームから飛び込んだ人が運転席の窓を突き破り、客室部分まで飛び込んだ事があるという話を聞いた事があるが、即死ではなかったという。




私もホームに立つ時、考えた事があったが肉体的苦痛を考えると出来なかった。

彼らも何度もホームの端まで進み戻り、進み戻りを繰り返したと思う。

その恐怖はいかほどのものかと思う。

もう死ぬしかないと思うものに、その上肉体的恐怖を乗り越える試練を強いる社会。




私は安楽死を求める権利はあっていいと思う。

それこそ財産の没収でも、臓器のドナーにでも、彼らは喜んでなるだろう。

何故なら私もそう思うからだ。

眠るように逝かせてくれるなら、多くの人が安楽死を臨むと思う。

何故なら私もそう思うからだ。




今、自殺を考える人がいたとするなら、医師でもない限り、肉体的苦痛や恐怖感を持たずに実行できる方法は限られている。

自ら死にたいと思う人間に、安らかな死を与えるというのは罪なのだろうかと思う。




これからの社会は、ある意味身分の固定化された階級社会になるだろう。

富める者は更に富み、持たざる者は更に貧しくなる。

貧しい者の子供らが学習するチャンスは、富める者の子供らより少なくなるから、彼らも固定化された身分の壁を越えられない。

テレビを見て毎日楽しく暮らしている人は気がついていないかも知れないが、我々は真の富裕層1パーセントから見れば、草刈場の牧草なのだ。

100人のうめき声が、1人の笑い声を支える社会になる。

これはある意味、健全な資本主義社会の姿なのだが、それゆえに多くの敗者を生み出さざるを得ない。

そして牧草は生えていなければ役に立たない。

それゆえ勝手に草刈場を出て、枯れる事は許されないわけだ。




私は幸運にも富裕層で生まれ育ったが、器量に欠けたせいか下層に落ちた。

今は人並みの生活を送らせて頂いているが、何度も地に落ち、泥水を飲むような生活もした。

死ぬに死ねず、かといって明日への道筋もない。

そんな生活を味わった。

また親族は富裕層にいるから、彼らがどうやって牧草を刈っているのかをこの目で見てきたし、刈り取った牧草をどう扱うかも見てきた。




心の底から思う。

偽りではない。

真のセーフティーネットとは、生活保護ではない。

真のセーフティーネットとは、薬物による安楽死である。

少ないとも私は、そちらを選ぶ。





頑張ろうニッポンと大きく書かれた駅の看板の下で、自立しようとホームレス自立の為の支援雑誌を売っているホームレスを避けて歩く人々。

これが現実。



「生きていれば・・いいことも・・」という人もいる。

かもしれない。

しかし、家族に裏切られ、悪事を断って苦境に立つものもいる。

家族も希望もない中で、買い叩かれる人に向って「いいこともありますよ」と励ますほど、私は面の皮は厚くない。



2万人が亡くなった震災をビジネスチャンスと考えるほど、追い詰められた国に我々は住んでいる。

そんな事を思っている時、街の中にあふれる笑い声がどうしようもなく私を苛立たせる。



恐らく線路を見つめていた彼らも、そんな気持ちだったのではないか。



年金給付が70歳位に伸ばされる可能性が高いという。

まぁ私はどのみちもらえないし、70まで老いさらばえるつもりもないので関係ない話なのだが・・。

これからの世代は不景気に喘ぎ、日本は2流国に落ち、増え続ける年寄りを抱えて苦しむことになる。

一生やり繰りをした上で待っているのは、生活保護での老後生活。



もっともその時に生活保護のシステムが残っていればの話だが・・。




よく「自殺はいけない」という。

宗教的な意見を排除すれば、特に国の本音は「納税者が減るから」自殺はいけないのであろう。

たしかに納税者が減っては、まずいのだろう。




だが、苦境に落ち、這い上がろうにも這い上がれない人がいるのも事実。

のた打ち回る人に「頑張れ」というのは楽だが、多くの人は言うだけで手は差し伸べない。

最期の自己解放として自殺が残っているが、迷惑だの敗北者だのそしりを受ける。




今の世の中には死ぬ自由も残されていないのか。

今自殺をしようと思えば、首吊り・飛び込み・飛び降り・練炭など、これから死ぬというのに大きな苦痛や恐怖が障害として立ちはだかる。




死ぬと決めても、肉体的苦痛に負けて死ねない人も多いだろうと思う。

もう死でもいいと決めたのに、その苦痛や恐怖を乗り越えられない。

私も何度も死にたいと思い、ロープやら練炭やら、薬品やらを集めたが、やはり出来なかった。

笑い話だが首を吊って苦しみにもがいて下に落ち、首にロープの跡をくっきり残して翌日会社に行った事がある。




無理とわかっていても、どうか行政機関にお願いしたい。

死んだ後に、内臓でもなんでも好きに取り出して臓器移植でも好きに使って構わないから、自殺の希望者には安楽死を与える機関を創設して欲しい。

とんでもないと思う人は、おそらく幸せな人だろう。




私は賛成の意見も多いはずと思う。

人生に希望もなく、振り返る思いでもなく、もう開放されたいと思っている人はとてつもなく多いはずだ。

納税と消費のためだけに家畜のように、生かさず殺さずで老いていく事のほうが何倍も残酷だろう。




どうかお願いしたい。

10年前、ネットは自分の好きなもの、自分が伝えたい事を、不特定多数に表現できる場所だった。

もちろん広告もアフィリエイトもあったが、まだ素人くさくても好きな事を伝えたいというサイトも多かった。

今は綺麗で洗練されたサイトが多いが、愛や熱を感じるサイトは本当に減った。

少なくとも減ったように見える。



何故ならそれ以外の金儲けのサイトがとてつもなく多いから、埋もれて見えなくなっているのかもしれない。

ブログを読んでも広告、ニュースを読んでも広告、しまいにはボランティア情報でも広告や金集め。



もちろん私のネットで10年食ってきたから、その1人。



飯の種だから・・と自分に言い訳しているが、時々恥ずかしくなる。

いや・・時々ではないな。



便利になったが、心貧しくなったという実感がある。

[北京 21日 ロイター] 

中国広東省仏山市で2歳の女児がひき逃げされ、通行人十数人が無視して通り過ぎた事件で、入院先で治療を受けていた女児が、事故から約1週間経過した21日未明に死亡した。地元メディアが伝えた。

 この事件は13日に発生。女児は狭い路地でライトバンにひかれ、通行人らに無視された上、さらに別のトラックにもひかれた。女児は最終的に女性が助け出したが、事故現場に約7分間放置されていた。

 事件をめぐっては、インターネット上で女児を無視した通行人らを非難するコメントが殺到。中国版ツイッター「新浪微博」 には「中国国民の恥だ」などという書き込みが相次いだ。

 中国新聞社が地元メディアを引用して伝えたところでは、病院による懸命な措置も実らず、女児は21日早くに亡くなったという。女児をひき逃げした運転手2人は既に逮捕されている。




さらに驚くべきことは・・・



少女を助けた58歳の清掃婦に対してシナ人たちは「売名行為だ」「有名になりたかったからやったんだろう」と激しく非難しているということだ。



こんな国と、どう仲良くしろというのだろう。

youtubeの動画の中に「踊ってみた」と言われるジャンルがあるのだが、最近ダンスばかり見ている。

みうめといわれる女性を筆頭に、このジャンルを引っ張っているダンサーがいるのだが、ホントに素晴らしいダンスをする。

今日のせる動画で髪を金髪にしている女性が、みうめ。

このダンスではセクシーに踊っているが、この人は曲に合わせて爽やかになったり、可愛くなったりと、そのダンスを変える。



しかしこの動画を見てつくづく思ったのだが、みんな同じ振りで踊っていてもこれほど違う。

この動画を見て、上手い順に順番を決めろといわれれば、恐らくほとんどは同じ順番になるだろう。

その差は、瞬間で見ればささいな違いだろう。

ちょっとした腰の角度、決めの時の表情、躍動と静止のメリハリ。

その些細な差で、こんなにも差が明らかに出る。

素晴らしい動画だが、残酷でもある。


この差は、我々が仕事をしているのを撮影しても案外同じ結果になるかもしれないなと思った。
毎日長距離通勤をしている。

本ならば2日で1冊読む時間を電車で過ごしている。

最近電車の中でスマートフォンをあやつる人達が多い。


が、ふと思う。


彼らは何をしているのか。

私は42。

子供の頃、パソコンの原型に触れ、肩から提げる携帯電話を見て、20代後半にパソコンを仕事で使い始め、30代序盤にテレホーダイからADSLに変わり、30代半ばで光回線に変えた。

楽天も小さく、ライブドアもプロバイダー業務をしていた頃からのネット稼業。

しかし携帯はネット契約していないし、スマートフォンの必要性も感じない。

家と会社のパソコンで、十分すぎるほどに足りている。



スマートフォンをあやつる人達を見ると、携帯が出始めた頃に公衆電話の前にいながら携帯電話を「見てくれよ」と言いたげに携帯で話していた人を思い出す。

ハイパワーのスポーツカーに乗って、自分が強くなったと誤解している人にも似ている。



会社のプレゼンでi-padで紙芝居程度の薄い内容をプレゼンして、「どうです?凄いでしょ?」とドヤ顔の営業マンを思い出すと気の毒でならない。



電車の中でスマートフォンを覗き込むと、大抵はゲームかメール。

これが情報化社会とは・・失礼だが笑わせる。

明確な意図を持たない情報機器は、1枚のメモに劣る。



スマートフォンに熱中して事故にあう人が増えているという。

何事に置いても足元が見えていないと、そうなる。



情報とは、必要なものと不要なものを判断できてこそ役に立つ。

最近忙しい。

ありがたいことではある。



毎日長い時間電車に揺られ、漠然と考えている。

人間ってなんだろうなぁ・・・と思わずにいられない。



人が困っている事に付け込んで商売にしようとしている人間もいれば、知識のない人間を言葉巧みにだまして金にする人間もいる。



しかも、それは世間で言う悪党だけでなく、世間で尊敬されているだろう人物だったり、子供も持ち一般的な人だったり、百貨店とも付き合いのある会社だったりする。



今日食べるものがなく、明日どうなるかわからず、子供が横で泣いているなら、大抵の悪事は許そう。



しかし明日の心配もなく、食べ物に囲まれ、女房・子供・愛人に囲まれ、周囲には恐れられる立場にありながら、なおも自分のために他人を利用する。



理解できない。それはまるで・・・餓鬼ではないか。



人を救えとは言わない。


だが、自らの手を汚さず利益追求する人間のいかに多いことか。



私がいた会社でも同じことはあり、それは違法ですよと言ってもばれなければいいと実行しろと命令された。

拒否して、その会社は辞めた。

同時に会社の社長婦人は私の姉だったので、最期の肉親との縁も切れた。

「旦那の代わりに子供と一緒に面倒見てくれるなら、止めることも出来たかも」という姉の台詞が笑わせる。





それはいい。

私は人に尊敬されるような人間ではないが、それでも自分の筋は通したい。

「そんなつもりじゃなかった」とは言いたくない。





彼らは・・

彼らは今日が人生最後の日としても、同じ事をするのだろうか。
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