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福島の南相馬市の小高区から都内に避難していた親族が、今週福島に戻った。

もちろん避難エリア内の家には戻れないので、エリア外の地区に移った。

どうしても都内の生活に馴染めないからという。

娘や息子や親族が東京にいても、東京にいることが苦痛だったらしい。

かといって福島が安全とは思っておらず、小高にはもう帰れまいと言っている。

1号機のメルトダウンが発表され、3号機もやばいとか、再臨界かなどと言われている事を承知で戻ったようだ。

早い話、死ぬ覚悟とまでは言わなくても、どうせ死ぬなら故郷で友人に囲まれてと思っていることはわかった。




政府が信頼できないという声をよく聞く。

それは大きな被害を出したからではない。

最善のケースと最悪のケースを提示しないからだ。

原発から100キロ圏内は危険です。10年は戻れませんとはっきり言えばいいのだ。

言わないから、戻りたいとなってしまう。



私は親族の福島帰還は愚かな判断と思う。

だが心情を考えれば、否定は出来ない。



おそらく東京でも本当は想定以上の放射性物質は降っていたと思う。

だが、それでも私は首都圏を離れないと思う。

強制なら離れることもあろうが、非常事態宣言でも無い限り離れないだろうし、政府は絶対に非常事態宣言は出さないだろう。


40過ぎていて、妻子も無いから、別に健康も気にならないし、第一タバコをがんがん吸っているのに、放射能を気にしても仕方ない。

以前、癌にもなっているしね。



どじょうだったか・・熱湯にどじょうを放り込むと、暴れて飛び出すという。

しかし、常温の状態から暖め、なべに豆腐を入れておくと、どじょうは飛び出すことは無く、豆腐にもぐりこみ、火が通っておいしく仕上がるという話を聞いたことがある。

徐々に慣れさせていけば、逃げないということだ。



我々が近い将来空を見上げると、土鍋のふちが見える日が来るかもしれない。
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父が亡くなり、1週間経った。

泣くことも無く、ただ普通に1週間が過ぎた。

悲しいとも思わないし、特別な感情は湧かない。




旦那の不正を告発した事で縁を切ったはずの姉が電話してきたが、かなり泣いていた。

25年前、東京女子医大に癌で入院していた母を、私と父と姉の3人でお見舞いに行き、帰りの中央線の電車の中で別れ、そのまま2度と帰ってこなかった姉が泣いている。



「25年前に家族を捨てた時に、覚悟はしていたはず。今こうして話しているのは、ただ連絡がつくというだけのことのはず」と言うと、「わかってはいるけど・・」と言う。



我が家の人間は、みな家族を捨てた。

いや、唯一捨てなかったのは母だけだ。


私は東京に戻ると同時に実家と連絡を絶ち、引越ししても連絡もせずに過ごした。

姉は会社の社長と愛人関係になり、家を捨てて、彼の元に走った。

父は、母と結婚直後から浮気不倫を繰り返し、母が倒れても死んでも、それは直らなかった。



私は41になり、人生とは何かとぼんやり考えている。



好きな人も何人もいて、結婚を考えた時もあった。

懸命に愛情を注いだつもりだが、驚くことにほぼ全員の女性が浮気し、その相手に走った。

当時は別として、今の私は彼女たちを責める気持ちが弱くなった。

原因のひとつは、私の消耗品としての商品価値が無かったからだろう。

利用し続けるメリットが無かったから、他の商品を手に取ったと言うだけのことだ。

愛されたいなら、金を稼いで出直して来な!というところだろう。


この先、どうやって生きていったら良いのかと思う。


おそらく、執着心を捨てること。

これが出来れば、心穏やかに終わりを迎えられることと思う。


愛する者を持たず、愛を求めず、友を持たず、大切なものを持たず、プライドも持たない。

もちろん家族など持たず。

いつ手放しても構わないどうでもいい人やものに囲まれて過ごす。

いつ誰に奪われても、なんの痛痒も感じない無意味なものに囲まれて過ごす。

それが、自分を守る唯一の方法と思う。




言い換えれば、絶望して生きていくことだろうか。

そうすれば、心穏やかに過ごせることだろう。



我々大人は、子供に「ちゃんとしなさい。人に迷惑掛けるな。人のものを取ってはいけない」と教える。


大したジョークだと思う。

不正をしながら「迷惑掛けるな」と教え、不倫しながら「人のものに手を出すな」と教えているわけだ。



それなら本当の事を言えばいいのだ。

子供に対して、「あなたはお父さんの子供じゃなくて、私が愛人をしていた人の子供なの。お父さんにもあなたにも教えずに20何年過ごしてきたけど、嘘ついたんじゃなくて、本当の事を言わなかっただけなの。だってお父さんも不倫を繰り返したり、会社で不正をしても言わないでしょ。それと同じことよ」とでも言えばいいのである。



最近では無力感や怒りより、言いようの無い滑稽さを人生に感じる。



そして傍から覚めた目で見ているとわかることがある。

幸せな人間ほど、幸せの価値を知らず、たやすくその幸せを投げ捨てている。

手放したものは、もう拾えなくなると言うのに。

昨日昼のニュースで、タレントの上原美優さんの自殺を知った。

24歳だったという。

割と応援していた方だったので、非常に驚いた。

恋愛の悩みとも推測されているが、現時点では不明。

いずれにしても、24歳という若さが惜しまれる。

今年は世間のニュースでも、自分の周囲でも忘れなれない1年になりそうだ。



震災で生きたくても生きられない人がいたのに、自殺とは・・という批判も見かける。

何をしても批判され、最後の手段の自殺まで批判されるとは、本当に嫌な世の中になった。

死にたくて死ぬ人間などいない。

死にたくなくても、死ぬしかないから、死を選ぶのである。

生きる自由はあるというのに、死ぬ自由は無いのか?

「自殺しなくても・・」というのは容易だ。



「僕らはみんなつながっている」「ひとりじゃない」とテレビが訴えている。


言っておくが・・・



そんなのは嘘っぱちだ。




証拠に、道で行き倒れ同然の人と視線を合わせず、汚いもののように避けて歩く。

みんな、心の中に火を消せるバケツを持っていて、それぞれ量は違えど水が入っていても、燃えている人に水を差し出したりしない。

差し出す人は、変わり者として阻害されかねない社会だ。

東北の被災者は助けても、通勤の途中で出会うホームレスは平気で見捨てるではないか。

被災者を助けるのは、「みんなと同じことして」安心したいだけだ。

もちろん、それが偽善としても、役に立つ偽善だから否定はしない。

だが、顔も知れない被災者に差し出す水はあるのに、通勤途中で出会う顔を知った人には水は差し出さない。

これを皮肉と呼ばず、なんと呼ぶ。





人間とは、孤独なものなのだ。

理解しあっているというのは、希望的観測に過ぎない。

「理解しあっている」という相互の誤解に基づいているだけだ。

なかよしこよしの振りをしてる方が、楽で傷つかないからだ。

本当に理解しあおうと思えば、他者と向かい合い、むき出しの心をぶつけ合い、血まみれになるしかない。

もちろん、それでも理解できる確立はほとんど無いのだが・・。



私は、孤独な人間だ。

家に言葉を交わす人間はいない。

正直な言葉を交わせる人間もほとんどいない。



しかし、ある意味恵まれてもいる。

何故なら、家族・・妻や夫、子供に親、恋人や愛人。

それらに囲まれていながら、孤独を感じるものよりは、孤独感は薄いことだろう。


人にとって、真の友人とは、過去の自分ただ1人である。

人は、地球に1人きりで生きているのとなんら変わらない。

今日、なにげなくネットニュースを見ていたら・・

面白い記事を発見。

読み進めると。「女性が男性に3高、つまり、高収入・高学歴・高身長を求めるのは、以前と同じだが、最近は3低が加わっているとの事」


3低?なにかしら・・と見てみると・・。


低姿勢・低依存・低リスクとのこと。

つまり・・・。

付き合って頂いてると低い姿勢で、女性に従い。

女性に手間を掛けず。

高収入を失うリスクが小さい男性。


ということでした。



なるほどなぁぁぁと納得しつつ、これって昔の男性が女性に求めてたことだよなとも思った。



以前、2chで見た記事に、生活費60万以上くれて、エッチは月1度まで、女性の買い物用にクレジットカードを用意、住まいは基本別居という記事を見た。

ネタだろと思いつつ、見てみると本当らしく、見合いサイトの画像にそう書いてあった・・。

ここまで来ると、ある意味すごく正直な人なのねと思ってしまう。



私は、家族や自分の連れの不倫やら浮気やらで、人生のほぼ全ての期間をいやな思いで過ごしてきたので、不倫やら浮気を死ぬほど嫌い、このブログでも罵倒してきたのだが・・・。

ここまで、世の中が変わってしまうと、結婚のシステムは変えたほうがいいのではと思ってしまう。

・年収600万以下の男性は結婚不可。
・年収600万以上の男性は、年収が300万増えるごとに妻を増やせる一夫多妻制を採用。

こうした方が、女性のニーズに合うんじゃないだろうか。


わしのような負け組も、諦めがつくし・・。

私の知り合いに、上昇志向の・・というか・・お金持ち大好きの女性がいて、「月収100万以下の男はありえない」という女性がいたのだが、その人の名台詞として私が記憶しているのに「サラリーマンの妻になるなら、金持ちの3号でも4号でも、そっちのほうが幸せになれる」という言葉があった。

確かに300万のサラリーマンの妻より、金持ちの愛人のほうが豊かな生活できるもんね。

で、お医者様の愛人を長年勤めていたのだが、寄る年並みには彼女も勝てず、お役御免になり、新しいスポンサーを探しているそうだが、以前の美貌も衰え、苦労しているようである。


しかし、この3高3低って、ある意味仕事の条件に近いよね。

もはや結婚は、就職なのね。


とすれば、倒産寸前のわが社に入社希望が現れなかったのも、説明が付く。
毎日様々な事件が起き、加害者や原因を作った人間が責められている。

もちろん、被害者の立場を考えれば当然ではあると理解する。

とはいえ、告発が苛烈すぎはしないかと思う時もある。


東電の清水社長にしても、ユッケ食中毒のあのブラック社長にしても・・当然、責められるべくして責められているとは思うのだが・・・。


「元に戻せ」と言っても戻せるはずもなく、戻さない限り、苛烈に責め続ける。


社会は、彼ら加害者サイドに何を求めているのかと思う。


私は車の免許を取らなかった。この先も取らない。

万が一とはいえ、人を殺す可能性は持ちたくなかった。

しかし、免許を持っていたとして、人を轢き殺したとしよう。

責められる。責め立てられる。刑事罰を喰らい、民事でも・・。

それでも「大切な人を返せ」と言われるだろう。

わかっているが、これを言いたくなるのは当然だ。

しかし出来ないと知っているはず。


要するに、極論かもしれないが、加害者は死ぬしか無いのかと思う。

もちろん遺族サイドにも、加害者の死を望むものもいるだろうし、あくまで出来ないとわかっていて被害者を返せと思うものもいるだろう。

かといって、加害者が自殺すれば「そんなことは望んでいない」と公式には口にすることと思う。

では何億円もの賠償金で心が癒されるかと言えば・・そういう者もいるだろうし、そうでない者もいるだろう。


では、加害者と思われる人物が故意ではなく、事故なら・・。例えば医療事故。

それから恐ろしいからこそ、産婦人科医は減少している。


結局、今の世の中は失敗できない油断できない世の中と思う。

失敗や、失敗の気配があれば、世間と言う名の怪物に襲い掛かられ屠られる。

遺族の意思を尊重すれば、医療事故で子供を亡くそうと、交通事故でも、原発でも、食中毒でも、大切な人間を帰せということになり、「命には命で・・」ということになりかねない。

原発で、「想定外」という言葉が非難されているが、では非難している人は全てを想定しているのだろうか。

そうではないはずだ。

ただ加害者にならなかったと言うだけで、加害者を責めている者もいるはずだ。

結局、全ては「想像力」なのだと思う。

加害者はたまたま加害サイドにいただけ。被害者は被害エリアにいただけ。

明日には逆転してもおかしくない。

そして「死んでわびろ」と迫られても不思議は無い。

非難するなら、それを理解したうえで非難すべきだろう。
「マキアヴェッリと君主論」を読み終わった。

読んでいて、マキアヴェッリは冷徹な現実主義者なのだなということが明確に伝わる。

日本では、マキアヴェッリというとあまりいい意味で使われていない気がするが、最も有効な統治とは何かと追求しいるのを見ると、今の日本の政治家に読んで欲しいと思ってしまう。

マキアヴェッリは、「ある政体を守りたければ、必要に迫られた場合にはあえてその政体の理念に反することをする勇気をもたなければならない」と言っている。

これを怠ると、その政体自体の崩壊を招くというのである。

なるほど、今の日本に一番必要な事かもしれないと思ってしまう。
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