御訪問ありがとうございます。 ここでは日頃、感じることを思うまま、ニュース・日常・趣味等をテーマに書いていこうと思います。 HP本館もありますので、是非御来館ください。
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激しい腹痛と、高熱にダウン。

泣き言を言い続ける・・。

うぅ、苦しい・・。

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現在、60年前中国で戦争捕虜になった人たちが、
60年ぶりに中国を訪ね、かつての収容所の管理をしていた支那人と
再会を果たしている映像が流れている。

彼ら元捕虜は、捕虜になった後も人道的な待遇を請け、
食事なども充分満足な待遇を受けるうちに、
自分たちの罪に気付き、「認罪」をしたという。


とても素直な人たちだなと思う。


本来なら殺されていても文句は言えないだろう。

では、何故殺さなかったのかを考えよう。


捕虜に対して、十分な待遇を与え、書物などで影響を与え、
罪の意識を植え付ける。

罪の意識にさいなまれ、仲間の前で私はこんなことをしたあんなことをしたと
自分の罪を告白し、まわりに自己否定に近い批判を受ける。
そしてその後自らを戦犯と罵り、自虐的否定をする。


この構造に見覚えはないだろうか・・。


カルト集団の洗脳の方法そのままではないか。


そのことに60年経っても気がつかず、中共のシンパになって、
日本国民に未だに亡霊のように付きまとう。

戦前の日本を罵る日本人の老人もいる。

あなたは戦勝の報道に旗を振り、提灯行列に加わらなかったのかと問いたい。

戦前の日本と言えども選挙はあり、民主国家である。


すくなくとも戦後国境を接する殆んどの国と戦火を交えた、
民主選挙を経験していない核ミサイルを300発近く持つ中共に、
ガタガタ言われる筋合いではない。
先週、口座の残高照会をしに行って、財布を落とした。

探してみるも見つからず、途方にくれる・・。

夜になり、自宅に近所のお巡りさんが・・。


財布にはメモを入れており、それを見たお巡りさんが届けてくれた。

なんでもスーパーのトイレに捨ててあり、現金とカード類はなくなっていた。
ムカ・・・(-_-メ)

銀行のカード等は既に止めてあったが、
わしの場合、住民票などは東京においてあり、
再発行の為の書類が揃わない。

東京に戻るお金もなくし、給料も受け取れない。
(ネット銀行の為、通帳ないしおろし様がない)

でしかたなく、コーヒーで凌いで1週間食事しなかったのだが・・。



今日、思わぬ収入5000円が!!!


\(^O^)/


走りましたよ。えぇ。

愛しのイトーヨーカドーに!!

焼きそばって、こんなに旨かったっけ!!

やはり、人間食うもの食わないと出来ることも出来なくなるね。

焼きそば3人前食べて、幸せ幸せ♪
山下達郎の「FOREVER MINE」PVを深夜のテレビで見た。

ホームレスのような格好をした嶋田久作がベンチに座り、
ピアノが目の前にあるかのように手を出し、ピアノを弾き始める。

曲が始まり、目の前にピアノが現われる。
ピアノの向こうには昔愛したのであろう最愛の女性。

かつて愛した女性がやさしげな表情で手を差し伸べる。

彼はその手を取ろうとするが、消えてしまう。

彼は彼にしか見えない女性に導かれ、街を歩く。

手を引かれて、深夜の駅へ。


いぶかしむ駅員の目も気にせず、駅の中へ。

電車の中では曲にあわせ、皆幸せそうに踊り、彼も彼女と踊る。


いつしか電車の中から歩道へ。


男は彼女の手を取り、幸せそうに踊り続ける。

そして幸せに満ちた表情で踊りながら、車道に出てしまう。

『FOREVER MINE』と口ずさみながら・・。


車道に消える男。



曲もいいし、嶋田久作もよく、PVとして最高だった。
切ないストーリーで一見救いも無いが、
その実、幸せに満ちたストーリーだった。

泣きに泣いた。

音楽や映画が例えようもなく好きだが、やはり若く多感だった時に比べ、
純粋なものの見方が難しくなっている気がするが、
ひさしぶりに音楽の力で涙を流した。



こういう死に方をしたい。
久方ぶりの日記。

アフィリエイト専用のサイトの構築に手間取っている。

書いては消し、アップしては消している。

ボーとしつつニュースを見る。

公務員の削減について話していた。

鳥取県では、パソコンで文章を作成できない・県民の相談を放置していた職員が、
リストラの憂き目にあった。

可哀相な気がしないでもないが、一般の企業では当たり前のことだろう。

鳥取県知事もそう述べている。

しかし顔を隠した鳥取県の職員の意見は違った。

県職員などの公務員はリストラすべきではないという。

彼曰く一般企業の人間と、公務員では人間としての能力・資質が違うのだから、
当然なのではないかという意見だった。

まぁ、それだけの資質があるのなら当然だろうが・・。


公務員になり安心して過ごす40年と、一般企業で蹴落としあう40年では、
対応力や競争力に格段の差が生まれると思うけどね・・。


会社員の平均給与は440万。
国家公務員は600万。
地方公務員は700万。

本当に優れている人間は4桁・5桁とっているのだから、
さほどの差はないような気がするね。
本日はある人へのメッセージ。


すまなかった・・。

申し訳ない。ごめんなさい。

多忙です・・。

食事もせずに、サイト構築に勤しんでおります・・。

頭の中をタグが飛び交っております・・。

どんよりとした疲労の中で、日々戦っております。

夏が終わるまでには披露できると、自分に言い聞かせております。

ところで食パンしか食べてないのに、痩せないのは何故でしょうか・・
埼玉県北部は本日も晴天なり。
猛暑猛暑で35度。

エアコン18度設定で全開なりも、室温下がらず、甚だ不快なり。

いやー、暑い・・。

このまま、わしは溶けてしまうのではなかろうか・・。

今日は「海の日」だって?

7年ぐらい、海なんて行ってないわさ・・。


朝から、サイトの更新・更新・また更新。

ブログや本館、アフィリエイト、全て合わせるとサイト10個を越えた・・。

作りすぎだよね・・。

月9ドラマの声だけ聞きつつ、サイト更新・・。


夕方よりまたまた激しい雷雨にて、ジュエルと散歩にも行けず・・。


あぁ、やる事多すぎる・・。


あと3ヶ月・・あと3ヶ月たてば、

待ちに待った柿の季節。

それだけが今の希望だ・・。

記憶について考えた。

我々はそれまでの人生を脳に記録している。

「記憶」ではなく「記録」している。

記憶とは、脳の中の記録を引き出す経路そのものだと思っている。

極端な話、自分の名前などは毎日使うから記録の引き出しから引っ張り出しやすい。
反面、子供のときの記録は意識してもなかなか思い出せない。

記録されている事は間違いないが、めったに引き出すことがないので、
引き出すための手順そのものが曖昧だ。

人間は一度でも聞いた物・見た物は覚えていると言う。
ただなかなか思い出せない。
記録はしているが、記憶されていないと言ったところだろう。

それが証拠に私にとって縁遠い中学時代の数学の方程式なんて、
「ほぇ?」って感じで忘れ去っている。

近年、「認知症」という病名が認知され始めている。
かつてなら老人のボケと言ったところだろうが、
若年性の認知症も増えていると言う。

30年連れ添った妻を思い出せず、「どちら様ですか?」と毎日訊ねたり、
メモをとろうとしても、どうしても文字を忘れてしまい書けない。

悲劇と言うべきは、自分が急速に記憶を無くしていることを自覚している点だ。

「壊れていく自分」を認識せざるを得ない・・。

人生も半ばを過ぎ、これから伴侶との余生が残っているところでの脳の故障。


わしも若いつもりでいるが、今年の末には36。

おそらく人生の中間地点はすでに折り返していることだろう。

毎日、気楽に過ごしているが、これもいつかは忘れ去ってしまうのだろうか。

ただ、今は豊かな人生を与えてくれる仲間・友人にに感謝しつつ、
人生の記録をこうして綴っていこう。
何を隠そう・・・私は・・・













雷マニア!!







ただ今、埼玉県北部大雨&激しい雷です。





さきほどバリバリッという音と共に近所に落ちた模様です。



o(^^o)(o^^)o わくわく



身の危険を感じるほどの落雷です。



高校の時に雷のCD買って聞いていたくらいですから、ただいま堪能しております。



干した洗濯物びしょぬれですが、この際良しとしましょう。



原始の地球のようで、ウキウキワクワクと心弾ませております。




昨夜、ある女性と言い争いになった。

事の発端は、ここ数日のわしの日記。

鬱をひけらかす人間をこき下ろしたり、
非現実に逃げ込んでいる人物を批評したことだ。

「見たくないなら見ないならいいではないか」というのが、
彼女の言い分。

それを皮切りに1時間ほど、主張・反論の議論で白熱した。

気心が知れているし、何故わしがそういった人間を批判するのかもわかっているし、
批判の裏にある真意を当然わかっている。

ある意味、負の感情についての論争。



結局、喧嘩することも無く笑って話を終えることが出来たが、
感じたことが1つ。


人間の魅力と言うのは、つまるところ「愛嬌」なんだと感じた。


秦の始皇帝は他人のことを口汚く罵り続けたと言うが、
愛嬌に富んだ人物であったらしく、それが最大の魅力であったらしい。


負の感情の話の際にも、愛嬌は貴重な財産なのだと実感した夜だった。
私は鬱ではない。
鬱の知り合いはいるが、鬱の友人はいない。

これといって興味もなく、理解する気も無い。

本音を言えば、本当に鬱に苦しんでいるのはほんの一部で、
あとは単なる同情をひきたいだけのあまったれの怠け者というのが、
私の正直な印象だ。

死ぬ気も無く、実行する度胸も無く、たやすく死ぬ死ぬ言うが、
「どうぞご勝手に。ドナーカードをお忘れなく。」とでも言ってあげたい。
「とめて♪とめないと死ぬわよ♪」なんて奴を止めるほど世間は優しくない。

自分を鬱と自慢する人の中で、わかりやすいと言うか、
興味深いのが女性のステレオタイプ。

現実逃避が極まったと言うか、狂人の域に達しているのが多い。

「波動」がどうとか、「エネルギー体」がこうしたとか、
まともな人間の言うこととは思えない。

自殺して透明なエネルギーになるなんて言っている奴もいる。

最近テレビで、ザインなるカルト集団が注目を集めている。
悪魔戦争だの、銀河皇帝だの言っているが、
それとどれほどちがうのか、はなはだ疑問だ。

13年程前、恵比寿に住んでいたときに近所にオウムのヨガ教室があり、
暗そうな人間が出入りしていたのを思い出す。

本当に自殺を止めたいのなら、自殺者の写真を見せればいい。

飛び降りれば頭が割れるし、樹海に入れば腐り果てて野犬に食い荒らされる。
電車に飛び込めば、臓物を撒き散らして「マグロ」と言われる。
実物を見れば、マグロと呼ばれる由縁もわかることだろう。

鬱だか分裂症だか知らないが、本当に死にたいなら、
子供を撒きぞいにして死ぬ前に、病院で献体を条件に安楽死させてやればいいのにと思う。

大人は人生を選べるが、巻き添えになる幼い子供はたまったものではない。
また犠牲者が出ましたね。
8歳と5歳の子供が、41の母親に襲われ刺されました。

5歳の子が「おかあさんにおにいちゃんがやられた」と逃げてきたそうです。

母親は瀕死の長男と車の車内にて逮捕。

育児に疲れた。子供を殺して死のうと思ったそうだ・・。
反省の言葉は無いという。

育児のストレスは理解できますよ。
わしは結婚こそしてませんが、今までに育児の経験はありますからね。

夜鳴きはする。食事の世話。オムツの世話。
むずがるから自分の時間をもてない。家には自分ひとり。

大変だし、辛いと思いますよ。

ただ、辛いからと言って殺そうと言うのは理解できない。

今時は「鬱」が流行のようで、「死にたい」と言ってみたり、
やれ「ハルシオンとなになに飲んでる」とか、さも「心が弱いの♪」と自慢げにいう奴が多いが、
わしに言わせていただくと、単なる自分本位な人格障害としか思えない。

死にたいなら、子供を道連れにせず、ひとりで首でもくくれといいたい。

案の定、この母親も「死にたい」と言いつつも、のうのうと身柄を確保されている。

要するに「死にたい」なんて口にする奴は、死ぬ気が無いとしか思えない。
本当に死にたい奴は黙って死ぬし、リストカットなんて甘っちょろい事はしない。


本気で死ぬなら、手首切り落とせばいいだろう。
高いビルもあれば、線路もある。家の中にもコンセントもある。



現在の幼児虐待の多くは女性。
子供と共にいる時間の長い母親が1位。

心の病気のせいにするが、今後もこんなことが続くのなら、
結婚も出産も育児も免許制にして、管理するべきだ。



死にたい奴には、ドナーカードでも配っておけ。



心の傷とか言う奴に限って、より弱い子供のことなんて考えていない。


あぁぁぁぁ、腹が立つ。
かつて新日本プロレスのエースとして活躍していた橋本真也氏が急逝した。

死因は脳幹出血。まだ40歳の若さだった。

橋本選手の全盛期は私の青春時代にほぼ重なる。

20代当時、武藤・蝶野・橋本の闘魂三銃士をよく見ていたし、
まだプロレスに活気があった。

私に関して言えば、プロレスと言うものとの関係は、愛憎関係そのもの。

子供の頃からプロレスに愛情を注ぎ、格闘技への道しるべとなった。

UWFが発足し、正道会館が空手ワールドカップで注目を浴びる。
K1が始まり、後にプライドも始まる。

かつて夢中になったプロレスが破れ続け、悲しみにくれつつも、
格闘技そのものへの造詣は深くなる。

長州との確執により、橋本は小川とのガチに追い込まれ、
一世を風靡したレスラーの実力が改めてさらされる。

「小川が勝つに決まっている」といいつつも、心のどこかで橋本が一矢報いるのを期待していた。

結果、惨敗。いいところなしの敗北。
その後、エンターテイメントに徹したプロレスに転向。

ゼロワン発足当時、兄の紹介で何度か橋本選手にお目にかかった。

山のような体に凄みを感じつつも、邪気のないいい眼をしていた。

生前、彼は「破壊無くして創造無し」「太く短く生きる」との言葉を残したが、
いみじくもそれを体現する人生となった。

御冥福をお祈りします。お疲れ様でした。押忍。
20になったばかりの頃、銀座で貧乏生活をしていた。
周囲はまだバブルの残り香があった時代だったが、
わしといえば昭和40年代かよ!!的貧乏生活・・。

ジーンズはボロボロ。
足元は穴の開きそうなスニーカーか、小汚いサンダル。

今考えると実に恐ろしい話だが、当時から他人を気にしない人間だったので、
給料が入るとそんなぼろい格好で銀座山野楽器に通い、CDを買いあさっていた。

小学6年生の頃に寺尾聡の「ルビーの指輪」を買い、
中学に入って洋楽を聞き始めてから、音楽を聞きまくっていた。

学生時代は小遣いも限られていたので、FMステーションなどのラジオ雑誌を買い、
音楽番組をチェック。
FM放送を録音することを「エアチェック」と読んでいた時代だ。
30代以上の方なら、心当たりがあるだろう。

それまで東京ではFMNHKとFM東京、FM横浜が聞けるだけだったが、
銀座で過ごしていた20の頃、J-WAVEが開局。

それまでニューミュージックといわれていた邦楽ポップスが、
Jポップと言われるようになった。

貧乏バイトだったので、月の手取りは10万程度。
そのうち6万程度はCDを買っていたと思う。
おかげでいつも食べるものがなかった。

テレビというメディアは見続けていると、自分の中の言葉を失わせる。
思考停止して与えられたものを見続けているからだろうが、
音楽と言うのは自分自身の想いと言うものを増幅させる力がある。
少なくともわしにとっては。

この時代の音楽の知識が後々自分の仕事となり、様々な出会いを呼び寄せた。

今はパソコンで音楽を聞く時代。
レコードもCDも、MDさえ必要なくなった。

昔の荷物を整理していて、当時のお気に入りを編集して作ったカセットテープが出てきた。

かつて想いを込めて選んだ10曲。

当時のわしとのひさしぶりの対面。

そんな日曜日。まどろみの午後。
佐藤ルミナという男をご存知だろうか。

私は2度逢った事があり、握手をさせて頂いた。

格闘技がブームの昨今だが、その礎となった1人である。

現在プライドなどで活躍している選手に「修斗」出身の選手は多い。
五味・宇野・マッハなどは皆修斗出身。

かつて世界最強を謳われたヒクソン・グレイシーを日本に呼び、
試合をしたのも修斗だった。


その修斗で「カリスマ」と言えば、ルミナ以外にはいないだろう。


坂本一弘、朝日昇、エンセン井上などのかつての選手、
五味・宇野・マッハなどの現在の選手たちでも「カリスマ」の名を纏ってはいない。


五味・宇野などはルミナに勝った事で、その名声を得てきた。


ルミナは全盛期には、試合開始6秒で相手を仕留めるほどの実力を誇った。
たしか1999年の1月6日だったと記憶している。

その後、空位になった王座を巡り、宇野薫と対戦。
まさかの敗北。
リターンマッチでの壮絶なKO負け。
再起を図り、臨んだ試合で新鋭・五味に敗れる。

最強と謳われ、マイナーだった修斗をメジャーに押し上げた男の凋落。

ルミナの涙に誰しも涙を流した。

彼に勝った男たちがプライドなどで活躍し、彼は過去の男となっていくと思われたが、
今年3月ルミナは遂に修斗・修斗環太平洋王座を戴冠した。

判定だったが、リングに倒れこみ涙する姿に感動した。

カリスマと言われながら、不運に泣き続けた男。

格闘技を長年見続けてきてよかったと思える瞬間であった。

年齢的にこれからはますます厳しくなる。
借りを返さなくてはならない選手も多い。

ノゲイラの首を刈る彼の姿を見ることが出来れば、本望だ。


実際にあった彼は思ったより小柄だったが、
引き締まった筋肉を感じさせる体と、猛禽類のような瞳が印象的な男だった。
七夕はわしの愛犬だった鈴の命日。
昨年の暑かった夏、鈴は亡くなり虹の橋を渡った。

鈴はフメリカン・コッカー・スパニエル。
うちに来た時はまだ3ヶ月くらいだったと思う。

アメリカン・コーカーの特徴のふさふさの耳を動かしながら、
わしの声を聞いていた姿を思い出す。

初めて犬と暮らしたのは小学生1年生の運動会の日。
いまだによく覚えている。

マルチーズの「くり」

3年生になり、シェパードの「ボス」

2匹ともわしが成人するまで生きていた。

社会人になり、シーズーの「まお」

躾けをさせてもらった柴犬の「チロ」&やんちゃな「クー」

30を過ぎて、シーズーの「ジュエル」
ジュエルはいい子で、無駄吠えは1度もしたことがないし、いたずらもしない。

わしが目線を向けると、目をキラキラさせて、尻尾をパタパタと振る。

犬を見ていていつも思うが「愛」という字を生き物にしたら、
犬になるような気がする。

犬からの愛ほど無償の愛に近いものはないだろう。


毛の長くなったジュエルを小脇に抱え、浴室にこもる。
2時間かけて、はさみでサマーカットにする。

終わったらご褒美のジャーキー。

短くさっぱりしたわが愛犬の背を撫でながら、そんなことを考えた1日だった。



だがしかし、愛犬ジュエルよ・・。
わしが寝たらわしの足をなめる癖は、どうにかしたほうがいいと思うぞ・・・。
書きたい事はたくさんあるよ。

不倫についての考察の続きを書こうと思ったが、
彼らは所詮道を踏み外した者達。

アウトサイダー・外道etc。

独善的で自分さえよければ、一時の欲望に負け、
愛を誓った者達を裏切る人外の者たちだ。

1日考えたが、考える価値もない。

自らを正当化し、自ら踏み出したにもかかわらず、
その自覚がなく、さも自分だけが苦しいと叫ぶ自己陶酔の極致。

自分に関わる人間に苦しみを押し付け、
そのことに対する想像力さえ持たない連中だ。

自らの行動の正当性を問われると、
さも原因は自らにないと正当化する。

責任転嫁という言葉があるが、この日本語は「責任を嫁に転ずる」と書く。

まさに自分サイドの責任を伴侶のせいだと言う彼らに相応しい。


正論がこちらにあるのは間違いないが、
彼らは決まって「君ならどうする?」と言うが、答えは明快だ。


私にはそのようなことは起きない。
起きそうな時には腹でも掻っ捌いてお詫びして、身の始末をする。

私は下らない人間だし、過去にろくでもないことばかりしてきたが、
その一点には自分を賭けている。

そのように自分を躾けている。

昨晩、あるサイトでひとつの意見を見た。

ある疑問があり、ある回答があった。

ある疑問とは「何故、世間は不倫を責めるのか?」というもので、

ある回答とは
「恋愛したことがない、もしくは恋愛に失敗した人間が、
「恋愛なんてくだらないから止めろ」といっているのと同じ。
不倫でも素晴らしい恋愛になることもある。
世の中にはいろんな恋愛や事情がある。それが分からないのだ。

人生経験が不足している。人格が育ってない。
欲求不満で、他人の恋愛が羨ましい。
旦那に浮気されたストレスを吐き出している。
等等、かわいそうな人たちが多い。」
というものであった。

質問者はこの回答を是としていた。

昨日の「作法」にも関係するかもしれないが、
不倫と言うテーマを考察するのは実に興味深い。

まず不倫と言う行為の定義づけをしよう。
辞書をひくと・・。
「道徳に反すること。特に、男女の関係が人の道にはずれること。
また、そのさま。 「―の恋」「―な関係」」とある。

一般的に言えば、ある人物が妻または夫と婚姻関係にあるにも関わらず、
特定の若しくは不特定多数の人物と恋愛関係・肉体関係を持つ非道徳的な行為と言っていいだろう。

ここにおける道徳とは、社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、
正しく行為するための規範の総体であり、
法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものとする。

つまりある人物Aは、妻もしくは夫Bと婚姻関係を結んでいるにも関わらず、
不倫相手Cと恋愛関係・肉体関係を持ち、Bとの婚姻関係を意識的に破壊する非道徳的行為と言い換えていいだろう。

つまりAとCは、社会の根幹を為す道徳に対する破壊者となる。

A・Cを処罰する法律は現在日本には存在しないが、
伴侶であるBが異議を申し立て、調停を起こせばAとCに対して、
慰謝料請求が出来る。
男性の場合、500万程度。女性の場合は200から100万程度が目安だろう。
支払いが滞った場合には、給与の差し押さえ等も可能である。

ネット上では不倫を楽しむ「馬鹿者」どもが、わが世の春を謳歌しているが、
実社会では人の道を踏み外した「外道」として、
社会的制裁を受けざるを得ないと言うわけだ。

本日は不倫に対する定義づけを行なった。

明日は不倫を行なうものたちからよく聞かれる意見について考察する。



ちなみにわしは日記を書く際に「日記」というカテゴリーとして、
日々投稿しているが、本日の日記は「恋愛」の中の「不倫」カテに投稿している。

これは不倫をしている外道の目に触れる機会を増やす為である。



以下、明日に続く。
わしはサウナが好きだ。

都内にいた頃は週に2-3回は足を運び、1日中過ごしていた。
サウナには様々な人がいて、興味深い。

シャワーも浴びずサウナに直行する者、汗も流さずに水風呂に入る者、
飲み物持ち込んでいる者、全裸で腹筋している者。

気にはなるが口には出さない。
口にしたところで、そういう人物は直したとしてもその時だけだ。
野良犬に「吠えるな」といって聞かせる者がいないのと同じことだ。

サウナに限らず、銭湯や自宅の風呂でも、
風呂上りに濡れたタオルで体をビシビシ叩く人がいる。

わしは子供の頃、母方の祖父の前でやってひどく叱られたことがある。
濡れタオルで体を叩くのは、絶対にするなと言う。

叩くその音が、切腹する際の首を切り落とす介錯の音に似ていて、
それを行なうのは、不吉であり、切腹したものへの不敬だと言う。

母方は会津藩士族の家系。
祖父の祖父までは会津藩士として刀を差していた侍だ。

その事を知ったのもその時が初めてで、その後他で聞くことはなかった。
現代の感覚ならナンセンスなのかもしれないが、叱られてよかったと感謝している。



六本木のわしの店の前で、クラブ遊びをしている連中が座り込み、
奇声を上げていたことがある。
もちろん丁重にお引取り頂いたのだが、「なにがわりぃんだよ」と問われた。

最近よく聞く言葉だ。

法に触れないんだから、何が悪い。てめぇの知ったことかよ。

実によく聞く。
勿論法に触れなければいいのかもしれない。

不倫をしても「恋をしてるだけ、法には触れないでしょ」
電車の中で携帯で大声で話しても「みんなやってるだろ」
飲酒運転しても「なんで俺だけ取り締まるんだよ」

こう言っては大変失礼だが、六本木や渋谷で綺麗な服着て、
わが世の春と思っているかもしれないが、
わしに言わせて貰うなら所詮、百姓根性丸出しの田舎者だ。

彼らには罪はない。
そういう教育を受けるチャンスを得なかっただけだ。
恐らく親の世代も大差あるまい。
どん百姓は死ぬまで、どん百姓だ。

家族・友人なら諌めるが、他人であり義理もないのでほっている。

現代の日本、家庭は乱れみんな好き勝手やっている。
彼らは法律や彼らなりのルールは知ってるかもしれないが、
「作法」というものの教育を受けていない。

作法を辞書で調べると、「礼にかなった立ち居振る舞いのしかた」とある。
付け加えるなら「美しく」だろう。

今はみんなスタイルもよく、いい服装をして、いい車に乗っている。
彼らも内心「俺ってイケテル」とでも思っているだろう。
わしから見たらドジョウすくいしてる田吾作にしか見えんがね・・。


幼少の頃、鉄扇で叩きわしを躾けてくれた祖父・父には頭が下がる。
音楽というは不思議なものだ。

何年も聞いていない曲。毎日のように聞いている曲。
様々あるが、聞いた瞬間に過去に引き戻されることも多い。


わしにとっては、宇多田・ミーシャ・M-FLOだろうか・・。


世田谷のアパートから、恵比寿のマンションに引越し、
午後2時頃目を覚ます。

シャワーを浴び、MDと煙草とバンダナを持ち外に出る。

ブルーの自転車に跨り、音楽を聴きながら明治通りを天現寺方面へ。

広尾の商店街で焼き鳥の香りを嗅ぎながら、駅前へ。

外苑西通りを北上。西麻布の交差点を右に曲がり、六本木方面へと坂を登る。

明治屋・WAVEを見つつ、六本木アマンド前を右折、外苑東通りに入る。

出来たばかりのスタバでコーヒーを買って、店へ。

制服に着替え、長髪を束ね、バンダナを巻く。

厨房のメンバーと冗談を言いながら、仕込みをして、5時になったら開店。

気に入ったCDを店内に流して、客を待つ。

客のいない店内から、外を歩く人たちを眺めながらいろんなことを考えたっけ・・。

なにをするでもない何気ない日常だった。

1分1秒の重さ。

得たものも多いが、失ったものもまた多い。

何気ない時間の大切さ、貴重さというものは、いつも通り過ぎてから気がつく。


7月5日、夜9時。35歳のわしの心境。
本日は月曜日。

私は酒も飲まないし、犬もいるので殆んど夜遊びはしない。
殆どと言うかまったくしない退屈な男だ。

テレビを見ていてふと気がついた。

もう10年近く同じ行動パターンだ。

7時からニュースを見て、8時からたけしの「世界丸見え」、
9時から「月9」を見て、10時から「スマスマ」。
11時からニュースを見て寝る。

勿論会社員の時は帰宅が遅い時もあったし、多少の変化はあってもあまり変わらない。

テレビを見ながら「おいしいね」とみんなで笑いあった日もあったかと思えば、
今はなぜか埼玉の片田舎でごそごそと犬と2人で食事している。



特に不満はない。

10年前と同じ番組を見ながら、10年前をふと思う。

10年後には、今日という日を思い出すだろう。

私はそういう男だ。

10年経てば、45か・・。


ふとそんなことを思い浮かべた夜だった。
現在放送中の報道特集。

いやーー、久々に笑った!!

今日の特集は「ザイン」という組織。

小島露観というつるっぱげのおっさんが大総帥だそうで、
1986年の際にハレー彗星が悪の巣窟だと気がつき、
悪魔戦争に巻き込まれたと言う・・。

世界を守る為に日本・世界の支配を目指していると言う。

ヾ(>▽<)ノウッキャキャキャキャッ<(≧∇≦ノ)

はぁはぁ、笑いすぎて苦しいぜ!!

で、なにをやっているかと言うと・・。





アクセサリー販売!!





アクセを売っている店の店員が、大佐とか軍曹なんだとさ!!




宣戦布告大会と言うイベントがあって、
20-30代の男女が参加している。

参加している者たちの格好は、
男はナチっぽい軍服に日本刀を差してマント姿。
女はアオザイか、チャイナドレス。










完全に総帥の趣味じゃないか!!







お前ら、ガンダムとか大好きだろ!!







笑い死ぬかと思った!!






勧誘方法がイカシてる!!





雑誌の後に「モテモテリング」とか、「金持ちネックレス」とかあるでしょ。

あれ買うと自動的に会員になるそうだ。



ヾ(>▽<)ノウッキャキャキャキャッ<(≧∇≦ノ)




そりゃ、ガンダム好きの男と、


コスプレ女が集まるわけだ。


で、宣戦布告大会の後はコスプレライブに、アクセ販売会。



昔、子供の頃、仮面ライダーとかで悪の組織が幼稚園のバス乗っ取ってて
不思議だったけど、いや~ある意味いい勝負だよ。



秋葉原でやりなさい。

そういう人たくさんいるからさ。



報道特集20年以上見ているが、笑ったのは初めてかもしれない。


ちびまるこより面白かった!!


∠( ̄∧ ̄) 総帥殿!


私、不覚にも笑ってしまいました。



完敗であります!!
先に申し上げますが、本日の日記、心のデリケートな方、
精細な方は読まないようにお願いいたします。

おそらくかなり傷つけることを書くと思いますので、ご遠慮くださいませ。
読む方は自己責任で・・・。

最近に限らず、わしの日記は暴論極論が多いが、今日は腹括って書くよ。

インターネットは楽しい。
キーボードを叩くだけで今まで知りもしなかったことに触れられる。

反面、見たくも無いものが目に触れてしまうこともある。
本来なら見もせず、スルーすればいいのだろうが、見てしまうときもある。

HPやブログの場合、殆んどはハンドルネーム・仮名だ。
わしもそうだ。

もちろん仲のいい人間には、わしが書いてると教える。

しかし、わしとて社会的側面をもっているので、
日記を書く際には言葉を選ぶ。

死にたいと思っていても(思わないが、仮にね)書いたりしない。

何故か。

交友のある人間が読み、なにかしら感じるものがあるだろうと仮定しているからだ。

勿論その時の心模様は書くよ。
だけれど心の奥の闇は見せない。
なぜなら、知人に対しての甘えになるからだ。

仮にここでわしが「死にたい」と書けば、それは知人に対しての甘えだ。

甘えたくないのなら知人に教えず、
単なる記録として遠慮なく書けばいいだけのことだ。

だが、ネットを見ると臆面も無く心をさらしているものが多い。
知人らが読んでいるにも関わらず「死にたい」だの「鬱だ」のと書き連ねる。
まさに臆面も無い。

わしに言わせていただければ、
それは子供が薄目を開けて「僕泣いちゃうよ~」と言っているのに近い。

彼らはまるで「僕の心はこんなにも壊れやすいんだ」
「さぁ、みんなで慰めて!!」「止めてくれないと死んでしまうよ」
と言っているように聞こえる。

繊細なのかも知れないが、
彼らは自分の言葉が他人の心の中に引き起こす波紋と言うものを考慮していない。

こんな事を書くと、「なったことのない人間にはわからないんだぁ」
とか怒るのだろうが、それは当たり前のこと。

申し訳ないが、他人の心なんてそうそう理解できるものではない。

人間同士と言うのは元来理解できないものなのだ。
相互理解などありはしない。
あったらいいなという希望の元にあったフリをしているだけだ。

我々は社会のルールというステップにそって、ダンスを踊っているだけだ。

ステップの踏めないものははじかれ、ダンスホールの端に追いやられる。

「淘汰」というのは、そういうものだ。

それが嫌なら泣きながらでも踊るしかない。

わしは自殺したいと言われて、止めた事はない。
本当に死にたいものは止められない。

東京タワーに登り下を見てたくさんの人を見たときに、
1人ぐらいその中から減っても誰も気にしないし、気がつくことさえ稀だろう。
勿論わし自身も含めてだ。

人間、必要としていない人間に関してはその程度のものだ。
人間にとって本当に必要な人間など、ほんの一握りだ。
自殺を止める人も多いが、それはその人が必要だからというケースはあまり見かけない。
止めるのは、死なれては自分にとって「不快」だからだ。

その事を考えずに、人にすがるのはちと見苦しい。

彼らは何故必要とされていないかを自問自答していない。
している気になっているだけだ。

他人は自分を写す鏡。

それを受け容れられず、なおかつ自分を変えられないなら、
世間を捨てるか、身を始末するしかない。
誰も止めたりしない。




本日の日記、君は読むだろうか・・。
これが君の言葉への私なりの返答だ。



理解されるとは、期待していない。
恐らく読めば傷つくだろうが、その事を承知して書いている。
何故酷い言葉で君を殴るのかを想像したまえ。
帰宅後に夕方のニュースを見ていた。

ここ15年くらいで幼児虐待が恐ろしいほど増えていると言う。
被害にあうのは0-1歳児。
加害者の多くは子供と多くの時間を過ごす母親。

子供を虐待した経験のある母親が顔を晒し出演していた。
真夏の暑い日にヤクルト1本しか与えずにほっておいたり、
泣いてる時に後から背中を蹴り飛ばしたそうだ。

本人が言うのには、幼児期の性的なトラウマが原因と言っていた。

誤解を恐れずに正直に言わせて頂くと、
「何言ってんだ、この馬鹿女!!!!!!!!!!!!!」という印象だ。

先日の夫婦喧嘩のストレスとかで、赤ちゃんを窓から投げ捨てた女がいた。
(あえて女呼ばわりさせてもらう)

親も人間だから機嫌が悪い時もあるのはわかる。
叱るではなく、あたってしまう時もあるだろう。

だけど・・だけどね・・
その子は将来「私は母に窓から捨てられた」と思うわけでしょ・・。

親や社会に見捨てられる人間は多い。
だが、その全員が虐待しているわけではない・・。

私にいわせればトラウマだか、ptsdだか知らないが、
それは自己正当化してるだけだろう。
トラウマなんて言い出したら、我々の親世代は比べ物にならないトラウマを抱えてる。

焼夷弾の中をくぐり抜け、空襲の中で死体に囲まれて生き延びた世代だ。
彼らに比べれば、なにをぬるいことを言っていると思う。

最近マスコミの影響だろうが、トラウマトラウマ言うやつが多すぎる。
殺したいだの死にたいだの、そんなに身を持て余すなら、
子供に当たらずに自分で自分の身を始末すればいいだろう。

どうも平和すぎるせいか、平等が正しいと思っている人が多い。
平等など法律書の中にあるだけで、この世には無い。

「あの人は愛されてるのに、私は愛されない・・。」とか言うものが多い。

それには原因があるのだよ!!

その原因を考えて、どうしても修正できないなら、
耳と目を閉じ口を抑えて泥の中で暮らすしかない。
それが嫌なら変わるしかないのだ。

拳銃を頭に突きつけられて「走れ」と言われるのが、今の世だ。

それが嫌なら「ライ麦畑でつかまえて」の主人公にでもなれ。




怒り心頭につき感情のままに書いた。
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