歴史

ここでは、「歴史」 に関する記事を紹介しています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この1ヶ月、反原発の声と共にメタンハイドレートに対する期待の声をよく聞く。

実用化には10年と言われているが、原発への投資を回せば数年で開発できることと思う。

しかし、メタンハイドレートがいいという人は、メタンハイドレートの危険性を知っているのかと疑問である。

メタンハイドレートの危険性は、ある意味で原発を遥かに・・遥かに上回り、暴走したらおそらく人間にはもう止められないものと思う。



ノルウェーの沖には、1000キロに及ぶ地域に巨大な穴が無数にあり、最大なものは直径3キロに及ぶ。

これはメタンハイドレート崩壊によるもので、温かい海水と接したことで大爆発を起こした痕跡だ。

8000年ほど前に崩壊が起こったといわれ、合計3500億トンのメタンハイドレートが噴出し、爆発し続けたものだ。

直径数キロの火柱が海上に立ち上り、数年間燃え続けたものと推測される。

CO2に換算(×21倍)すると73500億トンとCO2が一挙に4倍にも増えて、急激に温暖が進行した。

いま爆発が起きると10年で気温は4℃も上がり、さらに多くのメタンハイドレートが誘爆し、止められなくなる。

ちなみにノルウェーの爆発した際の量は、全埋蔵量の3パーに過ぎない。



これを制御する技術を人間はまだ開発していない。

メタンハイドレート崩壊が起きれば、哺乳生物にとって危機的な状況になると思う。

原子力怖さに、メタンハイドレート開発を急げば、原子力以上に危険である。


全原発廃止が理知的な判断と言えない以上、火力・水力・地熱・風力・太陽発電の効率化を進めつつ、安全な原子力・メタンハイドレートの開発をすべきと思う。

それに原子力を扱い始めて、たかが100年である。

人類は多くの問題を1000年2000年、ものによっては数万年掛けてクリアしてきた。

100年目の挫折で、開発を放棄とは人類に無かった誤った選択である。
スポンサーサイト
本日の日記はショッキングな内容を伴います。
真実であり、検証された史実ですが、目を背けたくなる内容となります。
精神的に繊細な方、感受性の強い方はお読みにならないほうがいいかもしれません。
中国との間に起きたある事件を取り上げています。

読む方は続きをどうぞ


明日からは通常の日記に戻ります。

[隣国]の続きを読む
昨晩のことである。

チャットで「竹島」問題に話が及んだ。

「たかが小さな島ひとつくらいいいじゃないか」という意見もあったし、
「あんな島のために戦争すべきではない」という意見もあった。

私が意見を言うと「好戦的だね」「人種差別」とも言われた。

まぁ、そうかもしれません。


私は彼らにひとつの質問をしました。


「韓国との領海問題で何人の日本人が殺されたのか知っていますか?」


みんな異口同音に言いましたよ。


「そんな被害は出ていない」


知らないだけ、知らされていないだけです。


竹島をはじめとする韓国との領海問題ではすでに韓国軍の攻撃により、
日本人44人が殺されています。

正確に言うならば、被害にあった日本人は抑留者数3929人、
拿捕された船の数328隻、死傷者数44人に及んでいます。

1953年2月4日には、侵犯したとして日本の第一大邦丸が韓国側に拿捕され、
漁労長が射殺されるという事件も発生している。

抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、
韓国に人質として利用された。 その年月、最大13年。

日本政府は、彼らを帰してもらうために、
在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、在留特別許可を与えた。

その犯罪在日朝鮮人の数、472人。

生還した日本人漁師の証言によると、
米や麦の主食は一切出ず、海から取ってきただけの海草を与えられ、
とても食えたものではないその海草で命をつないだそうである。


竹島問題に関して国際裁判を求めても、韓国側は一方的に拒否。


「それでもなお、君らは被害がないというのか?」



皆黙りました。

彼らに悪意がないのはわかっていますが、
今も生きている被害者・証言者はいます。

調べもせず、学びもせず、他者を批判するのは愚かな事です。


確かに竹島奪還を求める私は好戦的かもしれないし、
右翼のように皆さんの目に映るかもしれません。

だが、考えていただきたい。

実際に家族を殺されたり、何年も抑留されても、手をこまねいていいのかと。


福祉というものが、国民の生活を守るものと定義するのなら、
国防こそ最大の福祉なのではないかと、私は思う。

その点まで留意の上、私を右翼的・攻撃的・差別的と言うのであれば、
私は喜んでその呼び名を受けよう。

何故ならどんな時でも平和を求める人間が必要なように、
家族のためなら手段を問わないという人間も必要だからだ。


付け加え

第一大邦丸をご存じない方のために、事件の全容を追記します。

ご意見・ご感想お待ちしております。



昭和27年(1952年)1月18日の海洋主権宣言(所謂、李承晩ライン)以降に起きた、
最も衝撃的な事件について記しておきたいと思う。

それが、「第一大邦丸事件」である。

昭和28年2月23日に行われた、第015回国会 水産・法務・外務委員会連合審査会に
証人として呼ばれた、第一大邦丸船長、浜行治氏の証言から抜粋する。

昭和28年2月4日午前7時ころ、福岡の漁船『第一大邦丸(57トン)』は、『第二大邦丸(57トン)』と済州島沖20マイルの農林漁区第284漁区と思われる海域で操業中であった。

その時、韓国船の『第一昌運号』、『第二昌運号』約55トンが近づいてきた。

彼等は接近して来て、日本語で「魚は獲れますか。」と話をした。
その後、附近で停止して操業開始したかのように見えた。

丁度揚網時間となった第一・第二大邦丸が揚網作業に掛かると、突然、昌運号から自動小銃による発砲を受けたのである。

同国会における外務委員会によれば、乗組員各12名のほか、
憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、警邏4、5名が二隻に分乗していたのである。

銃撃開始後約5分で、第一大邦丸は船橋に10数発被弾し、
この時操舵室内に坐っていた漁撈長瀬戸重次郎(34)氏は、
後頭部左側より銃撃をうけ、意識不明となる。

この後、逃走を諦めた第一・第二大邦丸は、
済州島の翰林面という所に随行された。

収容されたのが、翰林面の高医院という普通の民間家。
病室は勿論、設備も全くなく、医師は診ただけでこれは駄目だと何の手当もしない。

船員は、警察へ軍病院などの別な病院への搬送を依頼するが、警察は拒絶。

憲兵隊に病院に収容することを依頼するが、
そのとき憲兵隊長は盲貫銃創だからとても駄目だと言って断った。

船員側から再三再四頼み、ようやく軍病院へ入院することが許可される。

その時に、「車は直ぐ来ますから」というのでそのまま負傷者のところへ行き、
軍病院へ行くまでの間に死なないように、医者にリンゲル注射を一本要求したが、
リンゲルは韓国では当時11万円ぐらいであったため、医者は躊躇。

大邦丸船員が、私物を売ることを約束し、やっとリンゲル一本うってもらったが、
車は遂に来ないまま、2月4日23時、瀬戸氏はお亡くなりになられた。

この後、船員に対して領海侵犯をしたという嘘の調書をでっちあげ、
これに強制的に捺印させるも、現実には公海上の事件であった事がわかり、
佐世保の朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将は、李承晩に会見を求める。

さすがに何の予告もなしに、公海上で日本人漁師を殺害した韓国軍の行動に、
李承晩も遺憾を表し、『第一大邦丸』の釈放に応じたのだった。

こうして、公海において、軍隊及び警察が民間船を装って近づき銃撃を与えるという、
海賊行為よりも悪質な事件は、2月15日、ひとまず幕を下ろした。

今日は今年の大河ドラマ「功名が辻」第一回放送日。

世が動乱から統一期の官僚制に向かう中、よく言えば夫婦助け合い、
悪く言えば妻が夫をうまくおだてて、内助の功で立身出世させるというお話。

今の世相をうまく反映させ、世のお父さん方に「うらやましい」と思わせたら、
ドラマとして成功だと、製作者も語っていた。

見ていて、ドラマというよりも歴史というものは実に面白いと感じた。

戦国期の四国は、群雄を長宗我部元親が統一し、秀吉の時代に統一国家に組み込まれる。

関が原・大阪攻めでは西軍に属し滅ぼされ、
後に今回のドラマの主人公である山内一豊が治めることとなる。

長宗我部時代の侍は、山内家では300年間冷遇され続けることとなり、
明治維新前夜の武市半平太や坂本竜馬を輩出する下地になる。

明治維新後は、土佐が中心となり公民権運動が活発になり、
大正・昭和期に引き継がれることとなる。

400年以上前の出来事が今の時代の要素であり、
こう考えると連綿と引き継がれる因果関係というもの自体が、
歴史なのだなぁと気づかされる。

歴史大河ドラマといいつつも、世の中で冷遇される父ちゃんたちは、
1年間甲斐甲斐しくもチャンネルを合わせることになるだろうが、
それはそれ、ドラマとして楽しみたいものだ。

しかし、役所公司の信長役を超える信長はなかなか出ないなぁ・・。
やぁ、皆さん、こんばんわ。

友人が電話をくれましたが、大阪の中国領事館前で焼身自殺を図ったのは、
私ではありません。生きてます。ご安心を・・。

自分に火をつけた彼の心情は察しますが、私はあんなことしません。
私なら上海の反日デモ5万人のど真ん中で「私は日本人だ!!」と叫んで、
中国国旗を焼きます。
当然なぶり殺しにあうでしょうが、同胞が惨殺される姿を見れば、
日本人も真実に気がつくことでしょう。

家族も無く、靖国に入れると保障してくれるのであれば・・(-_☆)キラリ



さて、今夜は我々日本人の我々の歴史に対する認識について書きたい。

私の出身校は玉川学園である。
同窓には東条英機の親族がいた。
学生なりに感じるものがあった。

結果から言おう。

東条英機は有罪である。

但し、彼の有罪は「日本国民」に対してのみだ。
決して戦争犯罪としての有罪ではない。

つまり、日本の政治・外交に失敗し、国民を戦後の塗炭の苦しみに落としたことは有罪かも知れぬ。
だが、一方的に戦争責任を押し付けられる犯罪者ではない。

彼が有罪であるならば、ルーズベルトも、トルーマンも、毛沢東も、
ホー・チン・ミンも、金日成も、スターリンも、チャーチルも有罪だ。

東京裁判は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた茶番でしかない。


一方で戦争は憎しみ合いであるゆえに、対戦国に彼が憎まれ、
疎まれ蔑まれるのは理解できる。

だが、何故同胞である日本人にまで戦犯と呼ばれ、
60年経った今でも蔑まれ続けるのだろうか・・。

言っておくが、当時の時代背景・国際情勢は現在とかけ離れている。

欧米列強の植民地化されていないのは、日本とタイだけだ。

そのような状況下で、結果的に失敗し敗戦したからといって、
彼ら先人の行為を我々日本人が貶めていいのだろうか・・。

勿論、犯罪を犯した軍人もいたろう。利権に群がる政治家もいたろう。
それらは必ずいたに違いない。

だが、それら一部の人間の為に、国の為に戦い死んだ人間を侮辱するのは納得できない。

国のためと言う言葉を使ったが、それは国家元首のためということではない。

自分が戦地に趣くことで、日本人の犠牲を減らし、
ひいては妻の為、子供の為、妹の為、母の為だ。

戦死した人間に対して鞭打つのは、
子供を守ろうとして結果的に暴力を振るってしまった父親に「この犯罪者!!」と蔑むに等しい。


哀しいことだが、戦後日本では左翼や朝日新聞、日教組のような組織の思惑が成功している。

中国の反日教育は愛国心の育てる為のプロパガンダとして利用されている。

ある意味、愛国心の欠片も無い現在の日本人の姿を見るにつけ、
彼らのしたたかさを感じ、日本の教育に情けなさを感じる。


最後に付け加える。

私は靖国に眠る人々を褒め称えよと言っているのではない。
賞賛して崇め奉れとも思わない。

ただ同じ日本人として、我々の未来の為と信じ死んでいった先人たちを
侮辱するなと言いたいだけだ。

この私の考えを「右翼的だ」いう者がいるならば、
私はその呼び名を甘んじて受ける。

ただ言わせてもらうなら、我々はある日突然出現したのではない。
長い歴史の中で曽祖父・祖父・父と受け継がれたものだ。
彼らを侮辱する事は100年後の自らの立場に唾することに他ならない。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。