世界がもし100人の村だったら

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早いもので、今年も6月である。

昨年の春、ホームページ本館のコンテンツとして2年前から掲載している「世界がもし100人の村だったら」のウェブリングを作った。

その後、テレビで「世界がもし100人の村だったら・3」が放映され、
1年後の本日、続編の「世界がもし100人の村だったら・4」が、放送されている。

今回の放送については、後日改めて触れようと思う。

その影響なのか、いくつかのサイトと知り合いになり、その中のいくつかはウェブリングに参加してくれた。

今日が「100人~」の放送日とは、今日まで知らなかったが、
昨日たまたま、ウェブリングの管理作業をしていた。

ウェブリングは、サイトとサイトをつなぐ大きな輪なので、
ひとつのサイトがリング用の部品をはずすと、リングが切れ、訪問がしずらくなる。

テレビをみんなが見る。
あまりの現実に「なんとかしよう」と思う人々がいる。
しかし、1週間、1ヶ月、1年経つと、そのことに対してのモチベーションを保つのが、難しい。

今日リングの見回りをしていて、多くのサイトが部品を取り外したり、
管理人の私にも伝えずにサイトを閉鎖していたり、商用サイトに変わっていた・・。

残ったのは、テレビ放送前から参加していたサイトだけで、
私のサイトを含めて3サイトだけであった。

昨年の放送日には、1日に500人以上が訪れ、多くのサイトの申込を受けた。
その日、ブログランキングサイトで「100人~」で検索をかけると、テレビを見た数百のサイトが100人を取り上げていた。

だが、1年後の今日、リングには3サイト残るだけである。

サイトに載せておくだけなら、お金は掛からない。
なのに、1年経てばみんな方向転換である。

当時、色んなサイトが議論していた。

奇麗事だとか、あんなのヤラセだとか、etcetc

が、私には引っかかることがあった。


100人の村の書籍を紹介することに、意味はあるだろう。

否定派・肯定派・傍観派、それぞれの主張を聞くことも、意味はあるだろう。

だが、ブログで100人の村の書籍を紹介して、
「私はテレビでこれを知り、感動しました。是非、みんなにも知って欲しいです」
とコメントを書き、その実はアマゾンや楽天に誘導し、自己の収入につなげようとすることに、収入以外の意義があるのだろうか。

資本主義の世の中だ。
責められる義理はないし、責めるつもりも無いが、ひっかかる。

私のもやもやが伝わるだろうか・・。

面白い映画を見て、サイトでDVDを紹介するのとは違うと、わしは思う。



今日も、テレビで紹介される子供達を見て、多くの人が涙を流すだろう。

サイトにも参加したいと言う人が来るかもしれない。

そして、その何倍もの人たちが、また100人を収入につなげようとするだろう。



確かに貧困に喘ぎ、悲惨な生活を送らざるを得ない人々は、幸せと言い難い。

だが、いくら日本が豊かになったとはいえ、大人が子供を襲い、子供が親を殺すこの国にあって、我々は彼らに比べて幸せだと言えるだろうか。
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1年3ヶ月前、HPに「100人の村」を掲載した。
2週間前、100人の村ウェブリングを開始。
1週間前、100人の村がテレビ放映。

一過性の事かも知れないが、本館などに検索から来る人たちが増えている。

テレビ放映を見た人たちだろうと推測する。

テレビ放映に対して反感を持つ人もいるようだが、
なんにしろ現在の世界について考えるのは有意義だ。

私のこのブログ、テレビ放映までは広告をのせていた。
が、放送時に全てを削除した。

放送中から、様々なブログが100人の村を題材として取り上げ始め、
翌日には100を超えるブログが100人に触れた。

それ自体はいいことだと思うが、感じたことがひとつ。


多くのブログで「なんとかしたい」「なにかできないだろうか」と言う声があがるなか、
同様に多くのブログで「100人の村」の書籍を紹介していた。
クリッリしリンクをたどると、ほぼ全てが楽天・アマゾンなどの販売へのリンクだった。

つまり、「100人の村」書籍を買えば、ブログオーナーの収入になる訳だ・・。

もちろん、その利益を募金などに活かす可能性もある。

だが、しない可能性のほうが高いだろう。


私はブログ・HPで100人の村に度々触れてきたが、
商品販売・自己の利益に誘導したこともないし、それが目的でもない。


だが、広告をのせる限り、その人々と同様であると感じた為、
即時、全広告を削除した。
それまでに掲載していた広告は、ケーキ店などだ。


それぞれの考えはあろう。

ブログオーナーの自由だ。

これが料理番組を見た人たちを食材販売に誘導するなら、それも結構だろう。

だが、今回の件は「100人の村」だ。

貧しさに喘ぐ人々を紹介するものだ。

それを紹介し、広告に誘導、利益を図る。

私はそこに矛盾を感じた。

苦言や皮肉に感じる方がいたら、お詫びする。


だが100人の村を紹介し、それを己の利益に誘導するという行動を、
私は潔しとしない。


今後、このブログには私の収入となる広告は一切、掲載しない。
今までフジテレビで放映していた「世界が100人の村だったら」を見ていた。

壮絶なまでの貧困生活。

感情移入だけしても意味の無いことはわかってはいるが・・、
思わず泣いてしまった。

奇遇にも先週「100人の村」のウェブリングを作った。
1週間経っていないが、数人が参加してくれた。

「そんなもの掲載したからといって、なんになる」と思う方もいるかもしれないが、
私には意味のあることに思える。

よくボランティアを偽善と言われる方がいるが、わたしはそれでもいいと思っている。


「行動しない誠意」よりは、「行動する偽善」の方が100倍も有意義だ。


人間は努力すべきだ。働いた分の恩恵を受けるのも当然だ。
だが、弱者へのいたわりを忘れてはならない。それは憐れみではない。

我々の父、そして我々の祖父の世代も戦後の焼け跡の中から這い上がってきた。

祖父たちにそのチャンスが与えられたように、我々もチャンスを与えなくてはならない。

今日、同じ番組を見て何か感じられた方は、100人の村を見るなり、
フォスター・ペアレンツに参加してみるといいだろう。

昔、参加していたのだが、やめてしまっていた・・。

私も今は裕福ではないが、またフォスターペアレンツに参加しよう・・。


それが恩返しというものだ。

[100人の村を見て。]の続きを読む
ホームページ本館にて、100人の村を掲載して1年以上経った。

100人の村とは、現在の世界を100人の村に縮小してみたら、
どういうものになるだろうかと言うものだ。

初めて目にしたときはショックとともに、心にしみた。

世界に横たわる絶望的な現実。

この「100人の村」を掲載することで、
何かが変わると考えるのは楽観的過ぎるかもしれないとは思う。

が、それでもなおたくさんの人々がホームページに書き込んでいるのを見るにつけ、
「あぁ、世の中見捨てたものではない」とも思う。

100人の村を掲載するサイトと連携できないものかと、
ウェブリングを本日作ってみた。

至らない点もあるかと思うが、賛同していただける方がいれば御参加をお願いしたい。

[100人の村ウェブリング始めました。]の続きを読む
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